『森づくりフォーラム』
1998年にNPO法が成立し、NPOが法人格を取得できるようになったときに、
「NPO法人森づくりフォーラム」は生まれている。
もっとも「森づくりフォーラム」の活動自体はその数年前からはじまっていたが、この頃から全国の森林ボランティア団体のネットワーク組織としての体制を整備していった。NPO法人としての活動がはじまってから今日まで私は代表理事を務めているけれど、まことに名ばかりの代表理事である。組織の運営は常務理事や運営委員会、職員の方々を中心にしてすすめられていて、私は大雑把な計画などの報告を受けてきたにすぎない。
森づくりフォーラムが生まれたとき、メンバーの誰もがひとつの危うさを感じていた。森とし関わる仕事をするときに一番大事なことは「継続」である。
いうまでもなく植えた木がとりあえず森らしい姿をかたちづくるには、最低でも数十年が必要になる。当時は林業でも短伐期施業から長伐期施業へ移行しつつあった時代で、80年、100年が林業のひとサイクルとみなされ始めた時代だった。この長い時間にわたって森と関わりつづける「継続」が保証されなければ、責任ある森との関わりとはいえない。とすると、市民のボランティア組織が、活動の継続を保証することはできるだろうか。数年で終わってしまう活動では、森の活動としては無責任である。
そんな危惧をいだきながら出発した「森づくりフォーラム」であったが、何とかこの20年ほどは活動団体であり続けることができた。今年の総会でいままでよりはるかに若い事務局新体制もつくられ、まだしばらくは何とかなりそうである。
これまで継続できたのは事務局や職員メンバーのがんばりに負うところが大きいが、森をめぐるさまざまな情勢変化に押されてきたことも確かだった。森林ボランティアの活動は多様な領域に拡大していった。人工林で間伐などの仕事をする森林ボランティア的な活動をする団体もあるし、里山整備に力を入れている組織もある。
その里山整備では、整備した里山を舞台にして子どもたちを集め、いわば教育森林的な活動をする団体や、フィールド・ミュージアムとして使うグループも生まれている。林産物に注目する組織や木材の流通、建築に関心をもつ団体など、森林ボランティア組織も多様性を拡大してきた。さらには企業のなかにも森を守る活動に参加するところが増えてきて、実行主体も広がりを見せている。
とともに都市と農山村の境界線も、年々低いものになってきている。いまではどこの農村に行っても都市からの移住者が活躍していて、農業、林業、役場、観光、地域の職人などとして定着してきている。それらの人が都市の人々をも呼び込み、都市の人が農山村に共同で畑や家をもって、地域の人たちとも交流するかたちもめずらしいものではなくなってきた。農山村との交流をもちながら都市で暮らすかたちは、ひとつの流行になりはじめている。
そしてそのような変化がまた、多様な森との関わりを拡大させてきたのである。私のいる上野村にも森林セラピーの森ができて、ここは都市の人たちに開放されている。日本の伝統的な自然信仰や山岳信仰への関心も高まり、信仰の場としての森林の意味も復活してきた。
そういったさまざまな動きをとおして模索されているのは、これからの私たちの生き方であり、あまりにも人工的になりすぎたこの社会に、行き詰まり感を感じる人々の増加である。それは大きな意味では社会を変えていこうとする動きといってもよいが、この動きはどこかで自然と人間の関係の回復を求め、自然の源としての森林をも視野に収める方向性をもちはじめている。
このようなさまざまな変化が、「森づくりフォーラム」にたえず新しい課題をもたらし、それに応えようとするうちに20年ほどが経過した。状況の変化に押されながら、活動を継続することができたのである。
森はひとつだけの考え方ではとらえきれない存在である。所有者の森でありながら、
その森は多様な社会的役割を果たし、しかも森はすべての人のものだという一面ももっている。そもそも自然の領分を人間が分割所有しているのだから、所有権だけでは割り切れない課題が生じるのである。
そしてだからこそ多様な主体が森と関わり、多様な森の価値を高めながら所有者たち
をも支えていくことが必要になる。この展開のなかに「森づくりフォーラム」もある。
写真:中沢 和彦(森づくりフォーラム スタッフ)
(本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第278回『森づくりフォーラム』より引用しています。
2014年7月発行号にて掲載されました。)
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