『災害の時代』
『災害の時代』
私が上野村に足を延ばすようになってからの半世紀のあいだに、上野村は何度か台風や豪雨に見舞われた。村の外に出る道がすべて通行不能になり、閉じ込められてしまったときもある。いまでは下仁田方面に抜ける四キロほどのトンネルが開き、村外に出られなくなることはほとんどなくなった。といっても二年ほど前の台風のときには、トンネルへと向かう道が崩落し、このトンネルも使えなくなってしまったのだが。
そんなことが起こるたびに感じていたのは、災害のほとんどは人災だということだった。無理して道をつけたことによって崩落が起こり、人工林もまた災害誘発要因になっていた。といっても、そのことを非難しようとは思っていない。上野村のような急傾斜の山が続く山間の村では、安定した道を造ること自体が簡単ではない。山を削り、谷を埋めるしか方法がないのである。そうすれば崩れやすい場所がふえていく。
人工林の場合は、間伐してからの数年間が木は倒れやすくなる。倒木が生じれば、そこから水を含んだ斜面が崩落していく。地方道や林道などの道をつけると、そこから森のなかに風が入り、倒木が生じやすい。さらにはたとえ天然林のままであったとしても、限度を超える風が吹けば、森の力だけで山の斜面を維持するのは難しい。
無理をして道をつけ、人工林としての施業を実施することは、人災としての災害を起こしやすくするのである。だが道は村の維持にとっては必要だし、人工林づくりを否定してしまうこともできない。
ところが今日の大規模災害をみると、この上野村の例とは別次元の人災が発生していると思わざるをえなくなった。上野村では災害が起きても、それが大規模災害になったことはない。しばらくは不便を強要されても、家屋の流失もほとんど起きたことはないし、死者が出たこともない。しかも不便は助け合うことが補ってくれる。いわばそれは村というローカル世界のなかで、自主的に対応できるレベルの災害なのである。
それに対して一般的な大規模災害では、地域社会の崩壊を招きかねないような災害が発生している。そしてそういう場所に共通しているのは、開発の失敗とでもいうべき問題である。
土壌的にみて崩落しやすい山の麓に住宅地をつくったり、氾濫が起きやすい場所に建物を造っていたり。さらにダムからの放流が下流地域の氾濫を誘発したとしか思えないケースもあるし、最近の熱海の例のように谷の上部に盛土をしたことが災害を生んだ可能性の高いものもある。川は氾濫し、山は崩落することがあるということを忘れた開発がもたらした大規模災害が頻発するようになった。
私の上野村の家は、狭い盆地のような雰囲気のところにあって、周囲を山が包んでいる。ここにある家を譲ってもらって引っ越したとき、集落人たちが私に最初に伝えたことのひとつは、家がある反対側の斜面に家を建ててはいけないということだった。
狭い盆地のようなところといっても、谷底にはやっと水音が聴こえる程度の沢が流れている。集落の家はすべてこの沢の北側斜面に建っていて、南側斜面には畑しかない。ただし斜面といっても下の方は緩やかだから、地形的には南側にも家は建てられる。
だが集落の人たちは絶対に南側斜面に建物を建ててはいけないという。北側と南側では土壌の性格が違っていて、南側斜面は崩れる可能性があるというのである。といってもこの話が生まれたのは、何百年も前のことだろう。南側斜面が崩れたという経験をもっている人は誰もいない。
にもかかわらず、そのことは、この集落では語り継がれてきたのである。この南側斜面の畑以外のところには、ニセアカシアの木がよく生えてくる。ニセアカシアは花もきれいだしミツバチにとっては格好のえさ場なのだが、台風には弱い。強い風が吹くとよく倒木するのである。
私の集落では数年に一度みんなが出てきて、このニセアカシアを伐採している。崩落を防ぐために、である。
伝承が語り継がれ、地域を守る共同行動がある。そのことが災害をローカル世界で解決できるものにとどめさせてきた。このあり方を失ったとき、開発は大きな災害をもたらすようになった。
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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第363回『災害の時代』より引用しています。
(2021年8月発行号掲載)
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