内山 節 ライブラリ

『森の神仏』

雪解けの山を背景にした桜(山形)

『森の神仏』

山桜は面白い木だ。けっして群落をつくることはない。それなのに天然林なら絶えることもない。春になると山のあちらこちらに、ぽつん、ぽつんと白い花に包まれた木を浮かび上がらせる。その姿は山の魂が浮いているようにも思えて、春の華やかさと神々しさを併せ持っている。

修験道では山桜がご神木になっていることがある。開祖の役行者が大峯山中で修行をしていたとき、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三体の仏が現れた。釈迦如来は過去を救済する仏、千手観音は現在を救済する仏、弥勒菩薩は未来を救済する仏として。役行者はこの三体の仏に対して、その本体を現すようにと念じた。と、三体の蔵王権現が現れた。

蔵王権現はインドの仏教にはいない仏で、仏なのか神なのかもよくわからない。日本にしか登場しない神仏とでもいっておけばよいだろう。役行者は山桜の木で蔵王権現を彫った。

そういう言い伝えから、奈良、吉野の修験道の霊域では山桜がご神木になり、今日にいたるまで山桜を山に植える奉納がつづいている。歌舞伎に「義経千本桜」があるように、古代から吉野は山桜の名所である。杉のように天に突き上がっていく神々しさもなく、さして大木にもならない桜が、山の魂=霊力として崇められるのは面白い。

役行者が山桜の木で蔵王権現を彫ったという伝承があるということは、山桜が信仰の木だったからなのだろう。生命がわき上がってくる春の象徴であり、自然の霊力が穏やかに私たちの前に現れる、そんなことを感じさせる木が山桜だったのかもしれない。ソメイヨシノのような里の桜にはそんな気がしないが、山桜はやはり手を合わせてこその桜である。

そんな山桜が咲いている五月三日に、上野村では火渡りがおこなわれる。上野村は元々は山岳信仰=修験道の強い地域だった。火渡りがおこなわれるのは三笠山の麓で、三笠山には刀利天が祀られている。刀利天とともにいるのは熊で、オオカミがご神体として崇められているケースは修験道ではよくあるが、熊がご神体として崇められているのは珍しい。

天界には三十三の城があり、それぞれの城に人々とともに「天」が住んでいる。中心にいるのは帝釈天で、刀利天も三十三天の一人である。釈迦のお母さんが、死後、刀利天のもとで暮らしたともいわれ、忉利天とも書く。なぜ三笠山が忉利天を祀るようになったのかはよくわからないが、この山はいまでも上野村の信仰の山のひとつである。

今年は明け方までの豪雨で、火渡りは中止された。人々は麓の寺に集まり、堂内で護摩を焚き、皆でお経を読んで終わった。上野村の火渡りは天台宗御岳法流、すなわち木曽の御岳山の修験者たちが集まって遂行する。ほとんど宣伝もしていないのに、毎年村外からも百人以上の人たちが参集している。

山の信仰はこの地ではいまでも健在なのである。

火渡りに参加した友人二人が、どうしても滝行がしたいという。豪雨のあとで川は濁流と化していたから、とても滝行などできる状態ではない。それでもとよく滝行がおこなわれる竜神の滝に行ってみると、そこで滝行をするのはほとんど自殺行為のような状態になっていた。

それでもあきらめきれないらしく、私は上野村の小沢にある滝に二人を案内した。そこは普段は水がしたたり落ちている程度の滝で、不動の滝と名付けられている。滝の横に石仏のお不動産が祀られている。不動明王の化身が八代龍王だから、お不動さんを祀るのと竜神を祀るのは同じことである。

この日は不動の滝もみごとな水量の滝と化していた。それでも二人は滝に打たれ、私も付き合うことにした。水温は七度くらいしかないから、春先の滝行は大変である。

二人の友人もけっして熱心な行者だというわけではない。普段は東京で暮らしている。もちろん私も行者としての行は何もしていない。しかし現在では、ときに霊山に上り、ときに火渡りに参加し、ときに滝行をしたりすることに、何の抵抗もないばかりか、それに魅力を感じている人たちが数多く生まれてきているのである。

自然の力が体の中を流れ、そのことをとおして生命の在処を感じとる、そういう失われた人間のあり方が、いまでは斬新なものとして人々を引きつけはじめている。

いうまでもなく、森は人々の生活のなかにあった。ときに林業を営み、杉や檜を育てもしてきた。そして森は信仰の場だった。それらが矛盾なく展開してきたのが日本の森である。だから信仰の場だからといって、林業を否定したり、世俗の世界で森を使うことを禁じたりもしない。日本の森は、そんなおおらかさとともに歴史を紡いできた。

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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第253回『森の神仏』より引用しています。
(2012年6月発行号掲載)
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プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。

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