『中心と周縁』

『中心と周縁』
私がはじめて上野村を訪れた半世紀ほど前は、「群馬のチベット上野村」という言葉が使われていた。当時は「日本のチベット岩手県」というような言葉もあって、後進地域を指すものとしてチベットという単語がよく使われた。
この表現方法はいつの間にか消えたけれど、その理由は、この言い方はチベットの人々に対して失礼だということに気がついたからで、上野村のように場所を後進地域だとみなす意識は、その後もしばらくのあいだは続いていた。
このような時代には、社会には中心と周縁があるという意識が支配していたのである。
確かに日本の政治の中心はどこかと問われたら、東京の霞ヶ関あたりだと答えてもよいだろう。ここが政治の決定権も財源も圧倒的に掌握している。経済の中心も、大企業の本社があるという意味では東京かもしれない。さらに世界の中心ということになればアメリカだと答える人も出てくるだろう。いうまでもなく、政治、経済、軍事力の面でのアメリカの力は大きい。
ところが最近では、かつてとは違う感覚をもつ人たちが現れてきた。今日ではどこにいっても都市からの移住者たちが活躍するようになったが、彼らは僻地で暮らすことを望んでいるわけではなかった。そうではなく、新しい時代の中心をみつけだし、そこに移り住むようになったのである。
たとえば自然とともに暮らすことのできる日本の中心はどこにあるのかと問われたら、その場所は大都市にはない。近年では理想的な子育てができる場所を求めて地方に移住してくる人もふえたが、彼らにとっては田舎がそれを可能にする中心的な場所だった。
もちろん、異なる意識をもつ人もいるだろう。塾や習いことを教える教室などがたくさんあって、さらにはインターナショナルスクールなどがある場所に、理想的な子育て環境を求める人たちもいるし、それが理想なら大都市でなければならない。高収入が得られる雇用場所を求めるのなら、やはり大都市に日本の中心があるといってもよい。
ところが最近では、収入よりも、働きがいのある仕事や社会に役立つ仕事、自然を損なわない仕事などを求める若い人たちがふえてきている。その人たちのなかからは、そういう仕事ができる中心地として田舎を捉える人たちが生まれてきた。
戦後の日本はひとつの価値観が社会を支配してきた。敗戦とその後の貧困をへて高度成長へと向かった時代のなかでは、貨幣に換算された経済が価値観の絶対的な基準になり、また多くの企業が政治と連携しながら成長を遂げていった。
このあり方を絶対視する価値観が社会を支配し、そうであるのなら東京や大都市が日本の中心地であった。都市から離れた場所は周縁であり、僻地だった。社会の価値観が周縁をつくり、僻地をつくりだしていたのである。
だから価値観が変われば中心とみなされる場所も変わってくる。静岡では、農園で働きながら近くの海でサーフィンをする若者に出会ったことがある。彼にとってはそういうことのできる場所が日本の中心だった。鹿児島では古式法で塩をつくる若者にであった。理想的な塩のできる潮流のある場所が彼にとっての中心である。
コミュニティに加われる地域のある場所に日本の中心を感じたり、森のなかで働ける地域にそれをみいだしたり。そんな動きがさまざまな人たちによって展開するようになった。
中心とは、ある価値基準で捉えたときにみいだされるものに過ぎない。しかもそれはひとつの場所でもない。たとえば米作りの中心はどこかと問われたら、どう答えたらよいのだろうか。最近では北海道で米の生産量が増加しているが、だからといって北海道が稲作の中心ということでもないだろう。
農村にいけば日本のあらゆる地域に水田はあり、自分の耕している水田こそが、その人にとっての中心である。同じように、林業の中心はどこかといわれても困る。なぜなら林業にたずさわる人々にとっては、自分の働く山が中心だからである。
自分にとっての中心をみつけだし、そこに移り住むようになった人々。その人たちにとっての中心は、地域を比較してみつけだされたものではなく、その人が比較できない価値をみいだした場所だったのである。
ゆえにこの新しい動きは、中心、周縁という概念を無効にする。その人にとっての中心はあっても、社会のなかに固定化された中心があるわけではない。こうして、中心も周縁もない世界が発見されるようになった。
私たちの歴史は、こんな人々によって変わりはじめている。
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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第390回『中心と周縁』より引用しています。
(2023年11月発行号掲載)
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