内山 節 ライブラリ

『非合理な価値』

『非合理な価値』

上野村では、五月三日に火渡りがおこなわれる。
昔からつづいてきた山岳信仰=修験道の行事で、大きな護摩を焚いて燃え尽きた灰の上を参加者たちが渡る。
周囲の山では新緑の季節がはじまっていて、鳥の鳴き声や虫たちの活動も日増しに活発になってきている。

とくに宣伝もしていないのだけれど、どこからともなく二百人くらいの人たちが集まってくる。七割くらいは村外からきた人たちだ。といっても、火渡りをすると何かいいことがあるのかと聞かれれば困ってしまう。
一応、無病息災などとはいうけれど、火渡りをすれば本当に病気にならないのか、厄が降りかからないのかと問い詰められたら答えようもない。そんなものなのに、毎年来る参加者たちは、春には火渡りをしないと大事なことをやり忘れたような気分になる。

人間は、それほどは合理的な生き方をしていないのである。たとえば偏差値の高い大学に進学した方が将来有利になるという合理的な判断があったとしても、全員がそのために努力するわけではない。しかも、そのような大学に進学した人と、そのための努力をしなかった人のどちらがよりよい人生を手にしたのかと問われれば、私たちは答えようもなくなる。なぜなら「よりよい人生」とは何かが合理的なものではないからである。

伝統社会の人々は、非合理なものを大事にしながら暮らしていた。森は山の神が守っている世界。その山の神は水神へと姿を変え、山からわき出る水をも守っている。水田地帯では山の神=水神は春には田の神に姿を変え稲作を守るともいわれてきた。この考え方もまた、その正しさを合理的に説明することはできないけれど、人々は山の神=水神=田の神を大事にしながら暮らす村のあり方に、村人の正しい生き方を感じていた。伝統社会の営みのなかには、さまざまな非合理な価値が埋め込まれていて、そういうものを大事にする正しさを人々は感じていたのである。

とすると、「正しさ」の意味が違うということになる。現代社会は合理的に正しさを証明 できるものを「正しい」と考える。しかし伝統社会の人々にとっては、それを大事にする生き方が「正しい」のである。とすれば、火渡りを大事にしながら一年を暮らすのもまた、「正しい」生き方だということになる。

戦後の日本社会は、すべてのことを合理的にとらえようとしすぎたのかもしれない。自然科学の方法を応用して、社会を合理的にとらえる手法をつくりだした人の一人に十七世紀のイギリスの経済学者、ウイリアム・ペティがいた。彼の本としては『政治算術』が知られているが、ペティは国富を客観的に明らかにしようと努力した。その結果編みだされたものは、経済を数量的にとらえていくという方法だった。それまでは営みや働きが経済であったものを、数量的に客観化する方法を考えたのである。その上で、数量をふやすにはどうすればよいのかを提案した。

数量化することによって合理的に把握する。この方法はその後の社会科学に受け継がれ、 経済学だけではなく、社会分析の方法としても統計が駆使されるようになっていった。

森林のとらえ方でも同様である。日本の林野率はどのくらいであるとか、人工林率はいくらで何齢級の森がどれだけあり、間伐の遅れた森の割合がいくらだとか、そういったさまざまな数字を並べていくと、日本の森の全容がつかめるような気分に私たちはなっていく。

ところが村で暮らしていて感じることは、村人はこの数字上の森とともに暮らしているのではないということである。村人は春を迎えた森、夏を迎えた森とともに暮らし、いまでも山の神や水神に手を合わせている。

林業者たちも五十年、百年をかける林業に数字的な合理性があるとは思っていない。いくら初期投資や林業利回りなどを計算したとしても、そんなものは社会が少し変わっただけで通用しなくなる。数字的合理性でとらえることが可能なのは伐採からであって、ここでは伐採コストと販売価格の関係が明確にでてくる。

所有する森の全体をみてリスク管理などを考えうる大規模所有者はともかくとして、小規模な村の森林所有者たちは、伐採時にのみ合理的な判断をおこない、植林や育林の過福では森とともに暮らす村人の意識でそれをおこなってきたにすぎない。合理的ではない森との関わりと、合理的に把握できる伐採とを組み合わせて森とつきあってきたのである。

とすれば森に対する人々の非合理な価値感をみつめなければ、「村の森」はとらえられなかったはずである。火渡りもまたそうであるように、私たちの 社会を支えているもののなかには、非合理な価値がいっぱいある。

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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第313回『非合理な価値』より引用しています。
(2017年6月発行号掲載)
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