『ゆらぎ』
冬になって狩猟の解禁日を迎えると、いつの間にか動物たちが姿を消す。
猟の対象にされる鹿や猪ばかりでなく、それまでは家の近くをうろうろしていた、
テンや狸までが、いっせいに人間の視界からみえなくなる。
「狸なんか狙われることはないのに」といくら私が思っても、
それは狸の自尊心を傷つけるだけだ。
狸にとっては、狸ほど素晴らしい生き物は他にいないのだから。
人間こそが最も高尚な生き物だという発想は、
ヨーロッパの人間中心主義が生みだした考え方である。
彼らはその理由として、「人間だけが備えている」とされた知性の存在をあげた。
知性をもつ人間こそが、最も高尚な生き物だ、ということである。
ところが動物たちをみていると、動物もまた結構複雑な生き方をしていることが
わかってくる。それをどう説明するのか。
ここから、動物がどんなに複雑な生き方をしているように見えようとも、
それは本能にもとづいておこなわれているものだ、
という人間にとって都合のよい解釈がつくりあげられた。
この考え方は、今日では、人間がつくった過去の物語にすぎなくなった。
二十世紀の終半に入ると、少なくとも思想の世界では、人間中心主義的な発想は、
根源的な批判にさらされてきた。
そして、そればかりでなく、いまの私たちは、野生の生き物たちに、
人間の失ったものを感じてさえいる。
自在に自然のなかで生きていく力を人間は失った。
自然を利用しながら、自分もまた自然の一員でいつづける
動物たちの能力も、人間の及ぶものではない。
ときには人間たちの営みをも利用しながら、
それでいて人間の危険性を忘れることもない。
一匹で孤独に暮らす力を備え、それでいてたくみに仲間の動物たちと
連絡をとりあっている。
かつては人間も、こんな能力をもっていたのかもしれない。
そして、こんな能力を失ってみると、
太古からの能力をもちつづけている動物たちの姿は、たいしたものにみえてくる。
おそらく、そういう感情をいだくのは、私たちが自分たちのつくってきた文明に、
自信を失っているからであろう。
これだけの経済力をもちながら、森の手入れさえ満足にできない
我らが文明とは何なのか。
孤独にも耐えられず、仲間と助け合うこともできない現代人とは何なのか。
本当の豊かさとは何なのかと考えても、その答えも満足にみつけられないのが、
この文明の下で生きている人間の姿なのかもしれない。
近代とは、人々にある種の希望を与えた時代だった。
経済の発展は人間に豊かさを与えるだろうと人々は考えた。
科学や教育の高度化は、人間の能力を高めつづけるだろうと思われた。
人々は自由な発想と行動を手にし、それでいてお互いに連携しながら、
助け合い支え合う社会をつくっていくだろうと考えられていた。
だが、いまになってみると、それはひとつの夢物語にすぎなかったのではないか、
という迷いが生じてくる。
そういう気持ちをいだくのは、私たちが、今日の文明を高めていくことに、
アキはじめているからであろう。いま私たちは、何かにアキている。
一体何にアキたのか。自然をこわしながら築き上げていく文明にだろうか。
それとも自然の能力を失っていく生き方になのか。あるいは別の何かなのか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私は上野村で新年を迎える。
そして、ここには、アキることのない世界がある。
元旦には集落の新年会が開かれ、ここで集落の一年の計画と役員が決まる。
それは、今年もこの村で一緒に暮らしていこうという確認の儀式のようなもので、
窓の外をながめると、須郷集落を包む森がみえている。
この森や、そこで暮らす動物たちとともに、新しい一年がはじまるのである。
文明がどうなろうとも、変わることのない自然と人間の世界がここにはある。
狸たちは、春まで姿をみせることはないだろう。
鳥たちは、とっくに禁漁区のなかに逃げこんでいる。
そして、山は眠るように静かである。
ときどき吹く風が、木々をゆらし枯葉を舞い上げるときだけ、
人間はその音に気づく。
大半が天然林である上野村の山は、正月には薄紫色にかすんでいる。
昔の私は、その様子に、冬の寒さに耐えている森、を感じたものだった。
だが、いまは違っている。
秋の紅葉に、無事な一年の営みを終えた森の満足感がつくりだす華やかさ
を感じるようになった。
そして冬の森の姿に、十分な一年を終えた森の眠りをみるようになった。
それは無事な営みから生まれる華やかさを、
私たちが失ったからなのだろうか。
あるいは満ち足りた眠りを得ることができなくなったからなのか。
私たちの文明と精神は、いま、確かに、ゆらぎのなかにある。
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第141回『ゆらぎ』より引用しています。
(2003年1月発行号掲載)
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