『木の生命』
久しぶりに訪れた北海道、大雪山は霧に包まれていた。
今年は何度も台風に襲われている。川には茶褐色の水が流れていて、
近くには大きな被害を受けた地域もある。
かつて私は何度も大雪山の黒岳周辺を訪れた。
層雲峡からロープウェイに乗り、
さらにリフトに乗り換えると黒岳の7合目まで運んでくれる。
ここから山頂までは2時間もあれば到着できる。
途中からは大雪山の森がみえている。
この森は1954年の洞爺丸台風によって全面的に崩壊した。
それまではトドマツを軸にした針葉樹主体の原生林がひろがっていた。
アイヌの人たちくらいしか入ったことのない深い森である。
その森の木が根こそぎ倒れていった。
当時の写真をみると山中にマッチ棒が散乱しているような光景だった。
折れたのではなく根から倒れたから倒木は利用可能で、
この森を管理する営林署は全国から人を集めて倒木を運び出している。
計画では運び出した跡に植林する予定だった。
ところがあまりにも広大で大量の倒木があったために
植林する余裕がなく、そうこうするうちに天然更新のかたちで
一斉にカバ類が生えてきたのである。
大雪山はダケカンバなどに覆われていた。
トドマツなどが消え、明るい陽がさすようになった山の斜面は、
土のなかで息を潜めていたカバ類の種子に発芽のチャンスを与えたのである。
この変遷が美しく紅葉する大雪山の森をつくりだした。
さらに山がカバ類で覆われると、その下からトドマツなどの針葉樹が
芽生えてくるようになった。
カバ類が先行樹種の役割をはたし、
針葉樹が芽生える環境をつくりだしていたのである。
私が大雪山を訪れるようになった頃は洞爺丸台風から30年余りがたち、
ダケカンバなどの下にトドマツなどが見えるようになる頃だった。
これから大雪山の森がどう変わっていくのかに関心をもち、
私はときどきこの森を訪れるようになった。
針葉樹は年々背を伸ばし、カバ類を追い抜いて頭を出すようになっていった。
おそらく100年もたてば針葉樹主体の森に変わり、
陽のあたる場所だけにダケカンバなどが残る昔の姿の森に変わっていくだろう。
自然は記憶を回復させるように動いていく。
そんな様子をみていると、木の生命観とは何なのだろうかと考えてしまう。
大雪山ではカバ類が森を回復させ針葉樹が芽生える環境をつくりだした。
ところがその針葉樹がひろがってくればカバ類は後退していく。
針葉樹の原生的な森がつくられ、台風などによって倒れたときには
再びカバ類の森が生まれていく。
そうやって自然は森を守りつづけるのである。
とすると木は、森として生きているのかもしれない。
現在の私たちは欧米系の思想に慣れすぎている。
欧米系の思想では生命はそのひとつひとつに宿るものだった。
1本1本の木が生命なのである。
だから、たとえばダケカンバの木が枯れれば、
その木の生命は終了したととらえる。
そして次に、トドマツなどの新しい生命が芽生えてきたと考える。
だがもしかすると、そういうことではないのかもしれない。
ダケカンバは枯れても、その木が地面に落とした種子は
土のなかで眠るように生きている。
再び地面に陽があたるときがくるのを待っている。
木が種にかたちを変えただけで、生命は続いているのである。
それは虫が卵から幼虫、さなぎ、成虫とかたちを変えていくのと
同じことなのかもしれない。
もしもそうだとするなら、ここからみえてくるのは永遠の生命である。
しかもこの変遷は1本の木の力でおこなっているのではなく、
森の変遷の中で実現していく。
カバ類の森がつくられることによって、1本1本のダケカンバなども
安定的に生きる場所を確保する。
その森がつくられることによって、
針葉樹の森が生まれる基盤がつくられ、
その崩壊はいつの日か再びカバ類の森を成立させる。
そういう大きい変遷をとおして森の木は生きているとすれば、
自然の木は1本ずつの木としてではなく、森として生きているのかもしれない。
9月前半の大雪山の森は、
標高の高いところから紅葉の準備がはじまっていた。
例年だと、9月の月末には山頂に雪が降る。
山頂の雪、麓へとひろがっていく紅葉。
その頃大雪山に行くと、私はコクワ=サルナシの実を探す。
霜が降る頃のコクワの実はおいしい。
このあたりは冬の大地へと変わっていく。
自然はそんな動きとともに生きている。
とすればそれは1年の単位だけではなく、
森としての悠久の時間のなかで生きているのかもしれない。
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第219回『森の価値』より引用しています。
(2009年8月発行号掲載)
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