『調和』
冬の森は静けさのなかにある。雪が少なく天然林の多い上野村では、森は薄紫色にかすんでいて、冬の陽ざしが寒そうな森を照らし出している。
そんな森をみていると変わることのない自然の歩みを、人間たちは感じるに違いない。もちろん森だって変化してきた。人工林の面積は拡大したしその木も年々大きくなってきている。薪をとらなくなった里山の木も太くなってきている。人びとの関わりによって森も変化してきた。だが、たぶん、もっと長い時間でみていけば、森は変わることはないだろう。木々が育ち、いずれその木は寿命を迎え、その頃にはまた新しい木々が育っている。そんな歴史をつづけているだけだ。
人間が利用しなくなれば、里山の木も大木になっていっていつかは太古の森の姿を回復していくだろう。人工林も、放置すれば太古の森に帰っていくし、価値が低下すれば再造林されなくなって昔の森の姿を広げていくことになるだろう。自然は過去の記憶を回復しようとする動きをもっている。長い時間世界のなかでは、自然はそんな営みをつづけている。
そしてだからこそ、この自然の営みに変更を加えようとすれば手間もコストもかかるのである。人工林を維持しようとするのもそのひとつだし、川に造られたダムや堰もそのひとつだ。ダムはいずれ堆積した土砂に悩まされるときがくるだろう。川が土砂を流さなくことによって発生する砂浜の減少や海岸線の変化も、人間たちに多くの負担をもたらすことになる。長い目でみれば、自然に変更を加えることは負担も大きいのである。
といっても自然を改造しながら暮らしてきたのが人間だ。川を治め、用水路を引いて人間たちは農村をつくってきた。都市をつくり、港を整備して自分たちの暮らす世界を生みだしてきた。人工林もまた近世以降の社会では欠かすことのできないものだった。人間たちは変化をとおして自分たちの生きる基盤をつくりだしてきたのである。
太古の時代からの記憶を甦らせるように生きていく自然と、変化をエネルギーにしていく人間。歴史は絶えずこのふたつの調整を求めつづけるのだろう。
恒例の年末の餅つきも終わり、上野村の正月は静かな森に包まれている。私がこの村で新年を迎えるようになって半世紀近くがたっている。かつては村の正月は賑やかだった。どこの家にも息子や娘たちが帰ってきて、大家族で過ごす数日が訪れたものだった。しかしそれもいまではだいぶ簡素化されている。昔だったら子どもが四、五人いる家もあったけれど、現在では二人くらいの家が大多数だ。子どもたち夫婦が両方の実家に顔を出せば、村に帰ってこられる日数も短くなる。だから一日、二日で帰ってしまうことが多くて、家にいるのは、ひと組の子どもたち夫婦くらいになってしまう。何組もが集まっている雰囲気ではなくなってきた。正月には旅行に出かける人も多い時代だから、なおさらなのである。さらにはIターン者が増えているのも、その理由のひとつなのだろう。この人たちにとっては、子どもが村に帰ってくるということはまだありえないのだから。
静かな自然に包まれて、村は静かな正月を迎える。それもまた悪くない。もともとは正月は神様と祖霊を迎える日だった。神々を迎えるために家の入口にしめ縄を張り、家を神域にした。神棚にその土地、土地のお飾りをして、神々とともに新しい年を迎えた。近年では祖霊が帰ってくるという意識はなくなっているが、祖霊とは自然と一体となった祖先であり、それは神でもあるのだから、神々を迎えることのなかに含まれていると考えてよいのかもしれない。
振り返ってみれば、正月のお飾りもずいぶん簡素化されてきた。そのことはある種の寂しさを人間たちに与えるけれど、日本の年中行事のかたちが農山村で確立されていくのは、たいていは江戸中期のことだ。とすれば、正月の形式も変わってよいのかもしれない。上野村は神仏や祖霊とともに暮らしている村なのだから、普段からそれらとの距離は近くて、自然が家のなかに入ってくるように、特別の日でなくてもそれらとは結びあっている。
村もまた変わっていく。そしてそのまわりには、太古からの記憶のままに生きていこうとする自然がある。その折り重なる景色のなかに、現在の上野村の正月も展開している。そしてこのあるがままの姿のなかに、自然と人間のひとつの調和があるととらえればよいのか、それともかつての村の正月の賑わいを失った現実があると考えるのか。それを決定していくのもまた、これからの長い時間なのだろう。
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写真:中沢 和彦(森づくりフォーラム)
※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第296回『調和』より引用しています。
(2016年1月発行号掲載)
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