内山 節 ライブラリ

『古木』

『古木』

ときどき私たちは大きな木に出会うことがある。
それは大木といってもよいし、古木といった方がふさわしいのかもしれない。
そんな木が森のなかや、寺社の境内、里の世界に現れてくる。

山のなかにあるのは、たいていは山の神が休む場所として残された木、
神社の境内にあるのはご神木だ。
それらは大地に深く根を張って、辺りを守るようにそびえ立っている。

しかもよくみると、その木は多くの生き物たちに住処を与えていることに気づく。
幹にはシダやコケが生え、ときには別の木が生息場所に使っていたりもする。

コケのなかにいるクマムシだけでなく、たくさんの虫や蜘蛛たちが
その木のなかで暮らしていて、鳥が巣をつくっていたり、
洞のなかにはリスや冬眠中の熊がいることもある。
一本の古木は、実に多くの生き物たちが生きる世界をつくりだしている。

そんな様子をみていると、
かつては人間たちも同じようだったのだろうという気がしてくる。

人間も古木のようになっていけば、若い頃のような勢いは衰えるだろう。
しかし積み重ねてきた技も知恵も知識も豊富で、その土地の主のようになっていった。
ともに生きる世界を支える古木のようになっていったのである。
それゆえに、地域社会のなかでは重宝される年寄りになることができた。

上野村にいれば、そんな年寄りたちにまだ出会うことができる。
森とともに生きている人たちの世界も同様だ。
都市でも家業をもっている人たちだと、そんな雰囲気をもっている。

だが、近代の歴史は、そんな古老たちを減少させてしまった。
おそらくその理由は、すべてのものが使い捨てられる時代になっていたからだろう。
一昔前の技も、知恵や知識も有効性を持たない時代。

そんな時代がつくられ、
年寄りたちは社会の第一線から退場しなければならなくなった。

だから年をとればとるほど人間たちは自己防衛的になっていく。
自分を守ることだけに汲々としてしまうのである。
人間を使い捨てる社会がそれをもたらした。

そして、だからこそ、そんな社会のあり方に不条理を感じる人たちは、
自然から何かを学び取ろうとする。

自然は自然を使い捨てない。

もちろん自然のなかにも、生き物たちの競争はある。
木もうまく生長できなければ次第に空を大木にふさがれて、枯れ木になっていく。

だがその枯れ木もまた微生物たちの暮らす場所をつくり、
大地の世界に戻っていってさまざまな生き物たちの世界を支えていくのだから、
けっして使い捨てられるわけではないのである。
大木になる木の役割もあれば、途中で枯れていく木の役割もある。

それが自然の世界である。

誰もが有効な役割をもち、古木は古木として生き物たちの世界を支えている。
そんな自然という社会のあり方に、
私たちは、いまでは学びたい何かがあるように感じはじめた。

振り返ってみればヨーロッパで、人間が自然に還る必要性が
一部の人たちから主張されるようになったのは、十九世紀に入った頃だった。

それはロマン派の一部の知識人たちからの呼びかけであったが、
その背景には生まれてきた近代社会への敗北感があった。
近代社会が芽生えてきたとき、人々はその未来に期待した。
素晴らしい社会がつくれると思い描いたのである。

だがこの新しい社会のかたちが現実化されてきたとき、自分たちはこんな
社会をつくろうとしたのだろうかという思いをもつ人たちがでてくる。

個人になった人間たちはひたすら自分の利益だけを求めるようになった。
人々のつながりも失われて、エゴイズムが支配する社会が生まれてきたのである。

その雰囲気のなかから、
自分たちの目指した歴史に敗北感をいだく人たちが現れてきた。
そしてその人たちのなかから自然回帰派が生まれてきた。
彼らは自然に還ろうと呼びかけた。

ある種の敗北感が自然のすばらしさを再認識させる。
十九世紀のロマン派の人たちもそうだった。
日本では1970年代に入ると自然保護運動などが興ってくるが、
その背景にあったものも経済成長一辺倒ですすんできた社会への懐疑だった。

今日の人たちの自然への思いは、70年代の自然保護運動の時代とも違う。

もちろんいまでも経済成長一辺倒な発想への批判はあるとしても、
それ以上に、使い捨てられない社会のありようを自然の中に感じている。

そんな「まなざし」をもちながら、いま私たちは、人間たちの社会を振り返っている。

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写真:中沢 和彦(森づくりフォーラム)

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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第301回『古木』より引用しています。
(2016年6月発行号掲載)
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