内山 節 ライブラリ

『交流』

日本で庶民による観光旅行がはじまったのは、江戸の中期以降からだと思われている。

戦乱の世から半世紀以上がすぎ社会が安定したばかりでなく、庶民にも多少の余裕がでてきた。もちろん誰もが観光にでかけたわけでもなかろうが、それが可能な人たちも発生してきたのである。それはどんな時代の始まりだったのだろうか。

 「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」芭蕉

芭蕉は関ケ原の戦いから四十年余りがたった1644年に生まれている。没年は1694年、庶民による観光が始まった時代を生きた人である。この句は謡曲の「鵜飼」を元にしたもので、当時長良川の鵜飼いは観光の対象として大きな評判をえていた。謡曲の「鵜飼」は。夜も更け鵜舟の火が消えて、この世に名残惜しさをもちながらもあの世に帰っていく物語なのだが、その「やがて悲しき」をかけて歌った句である。

 日本における鵜飼の歴史は古く、『日本初期』には神武天皇のところに早くも鵜飼の話がでてくる。もっとも神武天皇自身は実在したとは思えないが、古くから鵜を用いた漁法が存在していたのであろう。そのなかでも長良川の鵜飼いたちは特別の立場をもっていたようである。10世紀には天皇に鮎を献上したという記録が残っている。その鵜飼いたちに鵜匠という名称を与えたのは織田信長だった。鷹匠と同じ位を与え、禄米を給付して独特の地位をもつ職人集団にしたのである。もっとも信長の狙いは、長良川を知り尽くしている鵜飼いたちを味方につけることによって、戦に有利な基盤をつくろうとしたのであろうが、長良川の鵜飼いたちが川を知り、巧みな技を用いて生きる誇り高き人々であったことは確かであろう。

 その鵜匠たちが、観光客たちを相手に見世物で生きる人になっていった。芭蕉自身も鵜飼を見物し鮎を食べてずいぶん楽しく、感動したらしい。しかしその宴も終わり、舟の火も消えていく。謡曲の「鵜飼」を元において、その様子を描きながら、誇り高き鵜飼たちが観光の見世物として生きている現実をゐ芭蕉は巧みに描いている。

「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」

 どこかの国にでかけて、観光化した先住民の踊りを見ているようなものである。楽しいけれど、やがて悲しき、なのである。芭蕉自身が流行作家のようになっていて、「やがて悲しき」という心情を自分自身にもっていたのかもしれないが。

 観光にはこのような面がつきまとう。白神が世界遺産化されて、白神のブナの森とともに生きる誇り高き地元の人たちは排除されてしまった。そして観光資源としての白神をみせるツーリズムの舞台になっていった。祈りの場であった寺社が観光地化されると。寺社という見世物のテーマパークと化していった。ディズニーランドのようなはじめから見世物としてつくられたものはそれでもよいが、観光にはある種の虚しさもつきまとう。経済的利益と引き替えに、何かを見世物化してしまう行為だからである。

 それは村の観光化にもあてはまる。村の観光化とは、村の何を見世物にして人を集めるのかである。自然を見世物にするのか、村の文化や暮らしを見世物にするのか。うまくいけば観光客は集まり、お金も落ちて雇用場所も生まれるだろう。いま日本の政府は、日本にもっと多くの外国人が来る観光事業に力を入れているが、それは別の表現をすれば、日本を見世物にするということである。

 そしてそのような虚しさが観光化にはつきまとうから、今日の各地の人々は、観光ではなく交流事業に力を注いでいるのであろう。自分たちを見世物にするのではなく、都市の人たちとのあいだに新しい結びつきを創造する。それは訪れる人たちをふやすかもしれないが、自分たちを見世物にする行為ではない。

 観光とはもともとは「光を観る」、「光を観せる」というところからきた言葉だった。「光を観せる」ものがあるから「光を観る」人たちが来るのである。そしてその「光」は信仰と絡んでいた。信仰の対象こそが「光」の場所だったからである。それは修行でもあり、真実を発見するための旅でもあった。ところが江戸時代中期には庶民のあいだでも見世物をみにいく観光がはじまり、それがさまざまなものの見世物化をすすめながら今日に受け継がれている。

 とすると現代における本物の「光」とは何なのだろうか。それは単に見せてもらうものではなく、交流をとおして、ともにみいだすものであるのかもしれない。

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写真:中沢 和彦(森づくりフォーラム)
※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第279回『交流』より引用しています。(2014年8月発行号掲載)
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