内山 節 ライブラリ

『上野村の動物たち  (6)ニホンミツバチ 〈最終回〉』

2002.06.05 森づくりフォーラム会報81号寄稿

 桜の花が散った頃の暖かい日に、ニホンミツバチは分封する。その頃、巣には2匹の女王蜂がいて、その1匹が何百匹もの家臣団を率いて分家するのである。

 そろそろ明日あたり分蜂するかもしれない、そう感じると、ニホンミツバチを飼っている上野村の人々は、仕事を休んで待機する。一年に一度の巣分かれである。本来なら木のなかの空洞がニホンミツバチの巣だから、飼い主はハチに気に入ってもらえそうな木の巣をつくり、この巣の近くに置いて、分家の一団が入るのを待つのである。

 ところが用意した新しい巣が気に入らないと、ハチたちは希望の巣を求めて山に飛んでいってしまうことがある。この「ハチに逃げられた」という話もめずらしくはない。だから新しい巣に入ってくれないときは、飼い主は頃合いを見計らって、表に出ている女王蜂をつかまえ、用意した巣に入れる。そうやって再び逃げ出さないか、一日中様子をみているのである。

 一般に販売されている蜂蜜は、西洋ミツバチの蜜である。こちらは一年に何度も蜜をしぼることができるから、アカシアの花が咲く頃にはアカシア蜜というように、特定の花の蜜の多い蜂蜜をつくることもできる。ところがニホンミツバチの蜜は、秋に一度しかしぼることができない。しかもその蜜は、蜂たちの越冬用の食料だから、蜜を横取りされれば、蜂たちは死んでしまう。こういう仕組みなので、ニホンミツバチは巣の数が2つとか4つといった単位で飼い、半分の巣から蜜をしぼり、残りの巣は越冬蜂のために手をつけないでおく。そして、春の分蜂でまた二倍の巣を確保し、元の数に戻すのである。もしも分封のときに逃げられてしまえば、その年の秋には、蜜をしぼることができない。

 ニホンミツバチはこのように生産性が低く、収入にはほとんど寄与しない。村では一応1升15,000千円ほどで取引きされるが、ひとつの巣で1升しか蜜がしぼれないこともしばしばである。飼い主は、多くても6つくらいの巣しかもっていないのだから、その半分をしぼっても、収入は知れている。

 ところが、分蜂の頃になると、仕事を何日も休んで、一日中蜂の様子をみている村人は案外多いのである。西洋ミツバチの蜜よりもはるかに美味しく、薬効が高いのもその理由のひとつであろうが、それだけでは、この村人の行動は説明できない。ともかく、分蜂の頃になると、蜂以上にそわそわしてくるのである。

 日本の山村で、昔から飼われていた蜂だということもある。その意味では、ニホンミツバチは、山村の歴史のなかに深く深く組みこまれている。それに村には、市場的な利益を生まない生産行為がたくさんあって、それこそが村の暮らしの豊かさをつくりだしているのだけれど、ニホンミツバチの蜜も、ときに村内で取引きされることがあるとはいえ、その象徴的なもののひとつである。村外の市場にはでていかない蜜だというのもいい。最高級品は自分たちで楽しむ、という風格をこの蜜はもっている。

 村人は、なぜニホンミツバチを飼うのかと説明することはない。ただ、何となく、それが自然とともに暮らす村の人間のあり方だから、昔も今も飼いつづけている。それを継続することは、仕事を休んで収入が減ることは構わないほどに、大事な村の営みである。そこに、捨てたくはない村の暮らしがある。


2002.06.05 森づくりフォーラム会報81号寄稿