内山 節 ライブラリ

『コロナウイルスと森づくり 後編』

(はじめに)
森づくりフォーラムは2020年5月24日にオンラインシンポジウム「新型コロナウイルス以降の森づくりを考える」を開催し、地域の森づくり活動の現況や今後の活動展開について、視聴者を交えてディスカッションしました。
本記事はその前日談です。森づくりフォーラム理事と内山節との昨今の世相をめぐる議論が興味深く、
文字起こしをしたものを抜粋し、許
可を得て掲載します。(後編
登場人物:赤池 円(私の森.jp編集長/森づくりフォーラム理事)、内山 節、
             小森耕太(認定NPO法人山村塾 代表理事)

内山
明日(5月24日)は、コロナウイルス後の森づくりって言われても、そんなものありませんっていう感じなんで、粛々とがんばっていきましょうっていう話しかないです。例えば、木造住宅に住んでいる人のほうが感染率が五割低いとかそんな話が将来出てくれば、またいろいろ変わるんでしょうけど。

今は木造住宅っていっても、その中は化学物質だらけの木造住宅ですから、昔のようなほんとに、木と土と紙で作っているような、そんな木造住宅に住んでいる人は本当に少ないです。そういうわれわれにとって都合のいいデータも、たぶん出てこないでしょうしね。だけど、都合がいいかどうかは別にして、自然を尊敬しながら生きていけるような社会作りたいよね、ですとか。そういう中でいろんな活動していきたいよね、とか。そういうことでしかないっていう気がします。

小森
僕や鹿住さんは就職氷河期世代なんです。その世代の一部のひとたちはこうなっているわけです。都会の中から居場所がなくなって、田舎にたどり着いた人たち、もしくは、そことの接点で仕事を考える人たちです。うまくいなかなった方もいるけれども、同年代を見ると一定数で結構いる気がします。アフターコロナについて思うのは、確実に今の大学生や本来就職する予定だった人たちのことです。その一部の人たちには空白の何年間かが生じて、行き先がない、もしくは行き先はあるけどそこに不安を感じる、となり、道を求めてさまようのかなと思っています。

もちろん、すべての人ではないと思いますが、そういった人たちのたどり着く先として、森づくりであったり、農山村であったり、そのようなNPO等が受け皿となるような話があるかなって思っています。おそらく国もそういった就業支援・失業者対策など、いろんな事業を出すんじゃないでしょうか。そしてそのときに、間違ったほうに行っちゃうと残念だなと思うので、森づくりフォーラムとか森づくり・山村でかかわっている我々で一緒に考えていけるといいかなと思っています。

内山
たとえばテレワークやってみたら、このほうがいいと思っている人っていうのも結構いるわけですよね。ただそれはその前から、一昔前のような意味で、企業に従属して言われた通りの仕事をするっていう、そのことは、いやだと思っている人たちっていうのが前からいるわけですよね。そうすると、毎日会社に出て行って、自分の机に座ってっていうのが、ほんとの自分の姿としていいのかなって思っているところに、今度突然テレワークが入ってくる。すると、ちょっと解放感がある。だから、その前からそういう動きがあったところに、新しいことが入ったんで、これもまた良しみたいな気持ちを持つってことじゃないですかね。

つまり、なにかコロナがあったらば、世界が変わるとかいう話はないわけで、
それまでからあった動きの何かに加速度がつくとか。
若い人たちもどういう仕事をして、どんなところで暮らすのかということを、
より加速度がつくかたちで考える人たちが出てくると思うんです。

それは、たとえば今までだったらば、たとえばJALとかANAとかに就職したとしたら、かなり就職に成功したみたいな話に普通だったらなるっていいますか、だけど、これ、ちょっとJALとかANAとか安全な会社なのかっていうのも、もう分からなくなっちゃいました。それがいろんなところに波及していくわけですよね。そういうことなのに、会社に振り回され縛られていく、それに対するどこか違う方向を見つけたいという気持ちっていうのは今よりも加速度がついてくるでしょう。ただし、それは、すでにそういう方向を示したひとたちがいるっていうですね。その流れが大きくなっただけっていう感じなんです。 

たとえばある大学なんかでも、就職する学生さん、特に女子学生さんの、銀行へ就職するのが非常に多い大学があってですね。ところがその大学が残念に思っているのは、彼らが就職するのはいわゆる銀行の一般職が大半です。総合職のほうにいってくれないという。やっぱり総合職にたくさんいってくれないと、大学のグレードがあがらない。そういうことなんですね。ところが、学生さんたちは就職するのに総合職でこきつかわれていくのはまっぴらという感じなんですね。就職って安定したアルバイトみたいなものだ。だから、5時には帰りたい。そうすると、一般職のほうだったらば、一般的な事務的な仕事ですから、給料は少し安めになったとしても、5時に休めるとか、それから土日は休めるとかですね。そういうことができるし。

だからあの、自分の生活設計の中で、安定したアルバイト先を探す、そこにこれからどうなるかわかりませんけど、銀行はひとつの安定したアルバイト先みたいな感じであってですね。そこそこの給料は払ってもらえて、その代わりに、頑張る気もないけど、5時になったら帰りたい。生活の方をしっかりやりたい、っていう。だから、自分は総合職を望まない。大学の就職の指導なんかでもそうだけど、あなたの成績だったら総合職で受かるでしょうと言っているのに、本人が「いや、一般職でいいです」みたいな。そういう学生がたくさんいて、大学は悩んでいるそうです。

だから就職することの意識も変わってきているし、今そういう形で、ちゃんとした給料払ってくれる安定したアルバイト先みたいなつもりで就職するのもまた安全性がないっていう。そういうことがこれからますます進むでしょうから、就職というものに対する空気、空気の流れみたいなものは確実に変わってきていて、これからもそういう方向だという感じがする。

小森

これからの日常っていうのは、社会も含めて大きく変わっていくんじゃないでしょうか。例えば、会議でもこういうふうなズームつかってやるし、住むところは東京じゃなくともぜんぜん不便って感じない。むしろ田舎のほうがいいっていうような今のおっしゃっていたようなことがあるとしたらば、東京の人口が少しは地方に分散するっていうことも長い将来にあるんじゃないかなと感じています。

内山
あるんじゃないでしょうかね。で、うちの村って人口の20%くらいはIターンなんですけど、そのひとたちがなんで村に来たかっていうと、やっぱり、自分のやりたい仕事がここにはあるっていう、そういう感じで来る人が結構います。うちの村は役場職員にもIターンって結構いるんですけど、たとえば大きな市に入っちゃうということになると、自分自身で住民と一緒になってなにかやっていこうとか非常にむずかしくなっていく。ところが、上野村役場でしたら30人しかいませんし。ですから、ここならばやりたかったような地方行政の中に入っていけるんじゃないかっていうような、そういう感じで来ている。

それからもうひとつは、やはり、こどもを育てるならこういうところで育てたいっていう、そういう気持ちをもっている人っていうのも結構たくさんいて。それから、自分の生活っていうよりも、こどもの生活っていう、むしろそんな感じの人が多いですね。

だから、両者に共通して言えることは、自分のやりたいことだけど、他者の役に立つっていうことですよね。だから、村役場だったならば、他者の役にたつようなことを、しかも自分だけでやるんじゃなくて、住民と共同でやる。そういうことがある程度できるんではないかっていう思いがあったりする。

それから、生活もこどものために、とかですね。たぶん本人もそういう生活好きなんです。だけどやっぱり最初に感じているのは、自分よりも、そういう、こどもには都会の環境で育てたくないとか、むしろそっちのほうだったりするわけですよ。だから、他者のほうがちょっと気持ちの中で優先しているような、そういう思いを持つ人たちは移動するということだし。自分のためだけで感染しないためには田舎が有利とか、そういうひとは田舎にいっても、また挫折して都会にUターンするんじゃないかっていう気がしますけどね。

赤池
そういう他者への視線とか、「For Others」みたいなことって、都市であるというよりも自然に近いところに育まれやすいっていうような気がするんですけど。

内山
そうですね。上野村で暮らしていると、自分の力で生きているっていう気が全然しないんです。やっぱり、自然に後ろから押してもらって生きているっていうか、そういうことは認めざるをえないし、村の人たちに支えてもらって生きているというのも認めざるを得ない。だから、自分自身がいろんな他者に応援してもらって暮らしているっていう感じになるわけです。だとしたら、自分もまた他者にささやかでも協力したいっていう。そういう感じが出てくる。東京なんかにいると、自分の力で生きているぞみたいな。おとうちゃん、がんばって働いて、お金とってきて、みたいな感じがやっぱりどうしても表に立っちゃう。他者は自分のための手段になってしまうといいいますか。

赤池
内山さんの「命の居場所」っていう本をちょうど読み返したところだったんですよね。先生がその本の中で、命は個人のものじゃなくて、個人のものかもしれないけど、たくさんのところに命があるっていうことを書いていらして、そのことと今回のコロナウイルス禍のことを思ったときに、命を個人、個のものに属しているって考えることの苦しさみたいなことが、コロナによって余計強まったなという感じがしていました。

内山
コロナウイルスが広がってきたときに感じた一種の気持ち悪さっていうか、それはあの、まずはウイルスの正体が分からないわけですから、まぁビビってしまったっていう。それが一つあると思うんです。それから、またコロナと共に展開している今の社会の在り方にちょっと気持ち悪いなっていう、それもある。だけど、もしかすると根源的には、ウイルスって明らかに関係の中で生きているんですよね。だから、関係の中で、人間、こっちから言えば感染ですけど、生きる世界を関係する中に作っているっていう。

だから自然の中だけで動くウイルスもいるけれど、それはやっぱり自然と自然の関係があるから、そこに生きる場をつくっているわけだし、今回のようになれば、人間と人間の関係する世界があって、生きる場をつくっている。で、同時に、関係的っていうのは、生命がむしろ関係的なのです。

というのは、たとえば、僕が感染して重症化して死んでしまったと。すると、僕の中に入ってきたウイルスは、そこで終わるわけで、ウイルスも死んでしまうわけですよね。だけど、たぶんそれはウイルスの死には全くならなくて、個別ではなくて、全体として、ウイルスの生命という。そういう生命世界を持っている。

蟻とか蜂を見ていると全く同じなので、蟻なんかになると、ぼくらには一匹一匹に見えますから、一匹ずつで生きているみたいな感じに見えていくんだけど、働き蟻たちっていうのは寿命そんなに長くないんで、場合によったら数日とか短かったりするんですよね。ところが、自分の巣の中の女王蟻が何らかの事情でいなくなってしまった、死んでしまったとか、そうすると、働き蟻の中の一匹が女王蟻化する。女王蟻は年を越えて生きているみたいな、蟻的にはすごい長寿です。だから、人間の基準から言うと非常に不公平なので、女王蟻はたとえば2年とか3年とか生きていて、働き蟻は働いただけで、一週間で死んじゃう。そういうことなんです。だから、蟻っていうのは、全体としてひとつの生命なんです。

だからその中で、女王蟻がいなくなれば、誰かが女王蟻になって、全体の生命を守っていくっていう、蜂もおんなじようなことをやるんですけど、たぶん、生き物っていうのはみんなそんな生き方をしている、だから、狸でも狐でも、全体としてひとつの生命という面と、そこから現れている一匹一匹がまた一匹の生命みたいな、その両立の上に生きているっていいますか。だから、人間もほんとはおんなじであって、ぼくらもそうだけど、いろんな関係の中で生命の再生産をやっているわけで、つまり、食べ物を食べるってこと自体がそうで、それは自然とも関係をするし、農民とも関係をするし、もちろん作物自体とも関係する。それをやることによって、自分の生命を再生産する。

それが今度、人間同士でも、人間関係の中でいろんな活動をしたりすることによって、自分の生命を再生産している。その全体のつながりあう生命自体が本物の生命っていうみたいな一面があって、だけどそこから現れてきているひとりひとりっていう現象もあって、そのひとりひとりっていう現象もまた一つの生命といえるんですね。

だから二重な生命、関係的生命と個人の個別の生命みたいなものがあるんだけど、本質はたぶん関係的生命のほうにあるんですよね。だから、ぼくが死んでも、世の中がなくなるわけではないということになっていくわけです。だから、そういう世界の中で、どういう風にじゃあ私やっていこうかなっていう発想でなきゃ本当はいけなかった。

だけど、近代は特に、人間たちは、私がかけがいのないひとりです、みたいなことだけになっちゃったっていいますかね。そういうときに、関係的に生きている生命体のウイルスが、個人に襲い掛かるみたいな気持ちになったときに、実に本質的な不気味さを感じたっていいますか。それは人間の思い違いが起こしている不気味さであって。だから、ほんとうにウイルスと共存していこうとすると、向こうも自然の生き物で、共同的世界の中に生命を持っている。

だけど、人間もまた、共同的な世界の中に生命を持っているっていうそのことに気づきながら共存の方法を考えるっていう。でないと、ほんとうの共存はできないんだと思うんですよね。だから、個人の命にしてしまったために、死というのは怖いものになってしまったし、嫌なものになってしまったし、と。だから、それなのに、どこかで、人間は死んでいかなきゃいけないっていうことで、実にこう安定感のない、死生観の世界をつくってしまったという感じですよね。

前編はこちら

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