内山節『私たちは無意識のうちに、 日本の共同体から生まれた基層的な精神を回復しはじめた』
■自分のやりたいことが、みんなのためにもなる
森林ボランティアの活動は、日本の森に活力を取り戻す活動としてはじまった。もちろん市民のできることには限界がある。それでも可能なところから手入れをして森の活力を取り戻すだけでなく、私たちもまた森とともに生きる活力を取り戻していく。そのためには安定した林業労働や経営ができる社会をつくりだすことも必要だったし、木材加工や建築の問題も含めて、山の木を循環的に利用していく社会をつくることも課題だった。
目指されたのは、日本の森に活力を取り戻すための総合的な活動だったのである。もちろん個々の団体は個別のミッションにしたがって活動している。だから総合的な問題提起をしていく組織も必要になり、その役割を森づくりフォーラムが引き受けてきたといってもよかった。森づくりフォーラムが繰り返し「政策提言」をおこなってきた理由もそこにあった。
ところでボランティア的活動について考えてみると、世界的にはそれを神への奉仕としてとらえる傾向が強かった。他者を助けることが神の意思にもかない、そういう活動のできることが、神に選ばれた人の証拠でもあるというとらえ方が、ボランティア活動を生みだしたひとつの基盤であった。
ところがこの発想は、日本の大多数の人たちには通用しない。なぜなら伝統的な日本には絶対神は存在せず、唯一の神との関係で自己をとらえる精神は定着していないからである。だが日本の社会は、昔から、ボランティア社会としての一面をもっていた。ごく当たり前のことのように、人々は助け合いながら暮らしていた。とすると、この精神はどこから生まれていたのだろうか。
それは共同体がつくりだした精神だったといってもよい。日本の共同体の構造は、中世期、つまり鎌倉時代から戦国時代にかけてと、近世期の江戸時代とでは大きく異なる。中世は農民が武装し農民武士団を形成した時代で、一族郎党が管理するかたちで農村は運営されていた。ところが江戸時代になると兵農分離がすすめられ、武士は城下町に移動する。その結果武士のいない村、役所のない村が生まれ、村の運営は惣村自治に任されるようになった。中世共同体もひとつの自律的共同体のかたちではあったが、江戸時代になるとそれとは違う自律的共同体のかたちがつくられたのである。
こうして、村は自分たちでつくっていく共同体になった。もちろん共同体の人々も、一人一人は自分のやりたいこともあるし、それぞれ行為がある。その自分の行いが、共同体のみんなのためにもなることを、人々は願うようになった。その精神はいまでも残っていて、だから私たちは自分の利益だけを考える人に出会うと親しみを感じないし、ときに軽蔑さえしている。
といってもそれは、みんなのために自分は我慢するとか、やりたいことを放棄するということではない。自分のやりたいことが、みんなのためにもなるということである。そういう行為のあり方をみつけだすと、いまでも多くの人たちは精神的な安定感を獲得する。
ソーシャル・ビジネスを志す人たちがふえてきたのも、そういうことだろう。自分のやりたいビジネスをする。それが社会を良くすることに役立っている。そういうビジネスのかたちが、いまでは多くの場所で広がっている。
■支え合える社会をつくろうという活動
ところでこの共同体の精神と一体化するかたちで展開したのが、日本における大乗仏教だった。大乗仏教は、自分が修行をし、悟りを開くことが、すべての人々の解放につながるという考え方を基礎にしている。自分だけが悟りを開き解放されて菩薩になっていくことを目指す小乗仏教を批判した大乗仏教は、自分の修行とすべての人々の解放が一体的なものであることを説こうとした。
それは共同体の精神の調和したのである。人々のために滅私奉公するわけでもない。自分の自発的な行為が他者のためにもなることを人々は願いつづけた。
日本のボランティアの基盤には、こういう共同体の精神があるのだと思う。それは絶対神をもたない社会が生みだした精神でもあり、自律的な共同体がつくりだした精神でもあった。
森林ボランティアも同じなのだと思う。それぞれは自分のやりたいことをしている。ところが自分たちの活動が、森のためにも、さらには社会のためにも役立っていると感じている。このふたつが矛盾なく調和しているからこそ、森林ボランティアの活動は終わることなく継続してきた。
明治以降の日本は、国家のために生きることが人々のためにもなるという擬制を強制した。その反動して、戦後の社会はひたすら自分の利益になる生き方を追求するようになった。だがそのどちらにも問題があることが明らかになってきたのである。国家に滅私奉公するような生き方は自分を圧迫するだけでなく、人々をも圧迫する。しかもその結末は戦争による社会の崩壊だった。そしていま私たちは、戦後的、利己的な生き方がつくりだした社会の結末を処理しなければいけない時点に立たされている。
いわば近代日本のふたつの失敗をへて、私たちは無意識のうちに、日本の共同体から生まれた基層的な精神を回復しはじめたのである。それがときにボランティア的な活動として現れ、ときにソーシャル・ビジネスとして現れている。さらにはコミュニティづくりとか、支え合える社会をつくろうとういうさまざまな活動を生みだしている。
そういう時代のなかでの森林ボランティアの活動。今年はもう少しそのことを意識しながら歩んでいこうと思う。
写真:中沢 和彦(森づくりフォーラム)
※本記事は、森づくりフォーラム会報誌 2018年冬季号の「新年にあたって」より
引用しています。(2018年1月発刊号掲載)