『森をめぐる経済のこれから』赤堀 楠雄×内山 節 鼎談(聞き手:松下 芳樹)
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※本記事は、2018年5月21日行われた「森から人へ 人から森へ ~森をめぐる経済のこれから~」
鼎談の記録となります。本鼎談は林材ライターの赤堀楠雄さん、内山節、聞き手役の松下芳樹
(森づくりフォーラム理事)の3者で行われました。
尚、鼎談の前に行われた赤堀楠雄さん、内山節のそれぞれの講演記録は、冊子として
森づくりフォーラム ストアで販売しております。ぜひご購入下さい。
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(写真:赤堀楠雄さん)
「森をめぐる経済」変革期のポイント
松下:皆さんこんにちは。赤堀さんのお話しの中で現状の説明が詳しくありましたが、なかなかいい方向性が見えてこない現状にあります。しかし、やはり「森をめぐる経済のこれから」と題している以上は、プラス思考になるような方向性を見いだせる話につなげられるように、お二人と話をしていければと思います。参加者からの質問もいくつかいただいていますので、できるだけ、その質問にもお答えしていきたいと思います。
お二人の話は、大きな方向性は同じ流れだったかと思いますが、まずは「森をめぐる経済」が変革期を迎えているということについて、ここが一番のポイントではないか、ここが一番変わろうとしているところではないか、というところをご紹介いただけないでしょうか。
内山:赤堀さんがおっしゃられたとおり、社会も変わっているし新しい技術も出てくるといった変化がある中で、私自身が一番感じているのは、国の林業政策と個々の山を持っている人たちの方向性が分裂しているということです。戦後のある時期までは、それを一致させることができました。木材価格も高いですから、国の「木を植えろ、育林頑張れ」ということが、そのまま山を持っている人たちの気持ちにもなっていくことができたということです。ところがいまはそうではありません。
例えば、国的に言えば、この後も安定的に木材が出てくる状況をつくろうとすると全国5,000haくらい新しい木を植えないと、将来的に木がなくなるという問題が起きかねません。しかし実際には、新しく植えている面積は全国で1,000haくらい。つまり、本来は伐採してその利益でまた木を植えて、ということになるのですが、いまは伐採しても山に木を植えて育林するだけの費用は出てきませんから、伐って終わりにするというところがかなり増えているのです。5,000ha植えなければならないのに1,000haしか植わっていないのですから、林野庁はさらに補助金を使ってなんとかしよう、ということにもなっていくでしょう。
ただ、個々の山を持っている人たちからすれば、5,000haなのか1,000haなのかという話は実はどうでもいい話です。「それなら、うちは頑張って1ha植えましょう」という話にはなりません。山を持っている人たちの気持ちとしては、山で暮らすことが大事であって、木がお金にならなくても、森があるということにはいろんな意味がありますから、別の方法を使って森とともに暮らしていくだけです。
戦後のある時期まで、国が「こういう方向でいこうよ」と言って、山を持っている人たちも同じ方向で頑張っていましたが、むしろそちらのほうが特殊だったのではないかと思います。国家の方針が国民の方針であるみたいな時代の名残が戦後まではあって、いまはそこのところがはっきりと分裂しているわけですが、それはそれで良いのではないかと思います。そこをなんとかつなげようとすると、国は結局補助金政策で誘導するしかありませんが、それも限界があります。そういう時代になってきたというのが、一番大きな変化ではないかと思います。
松下:赤堀さんから『森林経営管理法案』の話もありまして、そこに如実に出ていると思うのですが、やはり政府と一般の森林・林業との現場との乖離がずいぶん明らかになってきていると思います。赤堀さんからは、そのあたりを説明していただいたと思います。いま、内山さんから「それもいいんじゃないか」というような話もありましたが、とはいえ、それはずいぶんとひどい状況になっているということをあらためて説明してもらうと、どういうことになるでしょう。
赤堀:『森林経営管理法案』が、所有者の人たちや山間地の実状や林業と乖離しているというのは、本当にその通りだと思います。これは、山を持っている人たちが自分の山に関心が持てなくなっている人が多くなっているので、自治体が管理を肩代わりして、ある程度公的にやれるようにしていこうということです。ちょっと文脈が違うかもしれませんが、そのことで最近ある人に言われて「そうだな」と思ったのは、「市町村がやってくれるなら差しだそう」という動きがガッと増えるのではないかということです。
私は山間に暮らしている人間の一人として田んぼも畑もやっていますが、震災があったときに友だちから、「地面を手に入れていてよかったね。田んぼや畑を持っていることが一番確かだよ」と言われました。しかしいま、70〜80代の人たちは自分の山になにかしらの思い入れがあって、「体が動けば山に行きたい」という人もいるのですが、山間部でさえ、山を持っていることへの思い入れがどんどん消えているという変化が起きつつあるように感じます。
それまで自然林だったものに人工林を植えて50年くらい、第1クールがようやく終わるわけですが、その第1クールがほとんど上手くいかなかったにもかかわらず、国としては次のクールを何の根拠もなく進めようとしているのですが、そんな流れの中で「山を持っていること自体に意味がない」という空気感が蔓延しています。これを放置しておくと、暮らしている山間の人たち自身の山離れにもつながるのではないかという心配があります。
「かくある木が、かくあるものをつくる」みたいなことは、
もしかしたら私たちの幻想だったのではないか。
松下:私は、赤堀さんが言われていたように、いま粗放的な山の整備に変わってしまうと、次のクールには以前のような山がつくれないというのがものすごく大きな変化であり、危機ではないかと思っています。昨日までは50年生とか80年生の木が生えていたものも、一度伐採してしまうと、翌日にはそれが小さな苗木になってしまい、将来はおそらく同じような品質の木にはもう育てられないというのが現実でしょう。
吉野林業などは、世の中の木の使い方とマッチングするような山の育て方で発展してきたのだと思いますが、これまでとは全く違う木の使い方になってしまうと、それに合わせた森のつくり方を要請されれば、その後の森の姿も大きく変わっていくだろうと思います。利用が森の姿を変えるということで、それがこれからの森と人との関係の大きな変化にもなるのでしょう。
昔からの林家の手入れを評価する木材の使い方がある一方で、集成材のように木材を切り刻んで貼りあわせ、合理的に資材として使えればよい、というような使い方の2つに象徴されるように、そのあたりの木材利用が今後の森を決めていこうとしているという時に、こういう方向でいった方がいいのではないか、というところを一度総括していただければありがたいのですが、いかがでしょうか。
内山:上野村に、いまから300年くらい前に出来た国指定の重要文化財になっている家があるのですが、その大黒柱には仰天することにカツラという木が使われています。カツラはやわらかいので、大黒柱にするなんてことは聞いたことがありませんし、上野村でも一般的にカツラを大黒柱にしている建築はありません。ただ、当時、ちゃんと木を見られる人がいて、村の伐り出しやすいところにすごく良いカツラがあって、「あれなら使えるよ」という話になったのだろうと思います。そのことも含めて、その頃の家には実にいろんな木が使われています。
上野村では、床板には早く成長するトチノキがよく使われています。また、上野村でもお金が結構ある人の家はやはり柱にヒノキが使われていて、江戸期にも天然ヒノキを使った家がありましたが、普通クラス以下の家ではほとんどツガが使われています。そんなふうに、かつてはいろんな木をつかって家をつくっていたのですが、全国的にスギやヒノキが流通できるようになって、むしろいろんな木を使っての家づくりができなくなったということです。
吉野では昔から無節の木を出していましたが、枝打ちはしていません。ある程度混ませて生長させると下枝が枯れ落ちるので、自然落枝の木が太っていって、最終的に桜井にある製材屋さんが上手に製材して無節の木を出していたんです。枝を打って節が出ないようにしようというのは戦後の技術ですから、戦前までは枝打ちという技術はありませんでした。
また、無節材が非常にきれいで高く売れるということではあったのですが、それもまた価値観が変わってきていて、いまは一定年齢以下の人は明らかに「節があった方が面白い」と感じているそうです。いまは無節の良い木を出しても、集成材の表面に貼り付けて使われる程度でしかありません。つまり、私たちの感覚もずいぶん変わってきているのです。「かくある木が、かくあるものをつくる」みたいなことは、もしかしたら私たちの幻想だったのではないか、つまり私たちはこれまで、そこにある材料を使ってきただけなのではないか、ということです。
日本の場合は、なんといっても木がたくさん育ちますから、木を使って建物をつくっています。ヨーロッパも木造の家は多いですが、木が生えていなければ石造りの家があるし、それもないところでは牛の糞を乾かして家をつくるとか、いろいろ工夫してやっているわけです。結局、自分たちがいま手に入るものをもとにして技術を発展させて、それでその地域独特のつくり方をしてきたわけです。むしろ日本は、人工林が増えたことで画一化して、それまで持っていた技術を失ったという問題もあるのです。
いまは、そういうことも含めて全部見直さなければならない時期に来ている、という気がします。それなのに、依然として林野庁的な話の延長線上で計画をつくろうとしてしまっています。もちろん、いま「いろんな木を使って家をつくりましょう」と言われても、それができる大工が何人いるのかという問題にもなりますから、短期決戦でそんなことは言えませんが、「本来、家とはなんなのか」ということも検討しないで戦後的な理想を続けていたら、そこを鉄骨形住宅とかマンションとか、そういったものに足を掬われてきたという歴史もあって、それが現実なんだろうという気がしています。
バラエティに富んだ樹種が使われていたかつての民家
松下:家づくりについての価値観についてはいろいろな課題がありますが、それにどう対応していくかという視点からすると、育林に関しては逆に林家の価値付けみたいなものをどうやってマーケット化していくかを問われた感じがしますが、いかがですか。
赤堀:スギ・ヒノキの人工林は明らかに増やしすぎです。元々日本には豊富な樹種があったわけです。うちの方は、昔からの建物はこの地域に多いアカマツでできていますが、いろんな調査で、各地域の民家の樹種を調べると非常にバラエティに富んでいます。
いまはヨーロッパの林業が日本の林業を席巻していると言えるのですが、ヨーロッパの林業はトウヒとかオウシュウアカマツといった固有樹種できています。それに対して、日本で集成材に向くようなスギ・ヒノキを育てようとするとなかなか難しいところもあったりします。
来年、再来年でどうなるものではありませんが、本来の日本の植生力を活かした林業というものも具体的に視野に入れて、もう一度地域づくりに結びつけていくということは必要だろうと思います。そういうなかでスギ・ヒノキの適地でこだわってやっている人は、むしろその希少性が生まれます。適地適木という言い方がありますが、その原則に戻りながら、地域の特徴を活かせるような戦略を立てていくということかなと。
島根県に行ったときに「スギ・ヒノキの島根県産材を売りたい」と相談されたのですが、スギ・ヒノキは実は島根県には少ししかなくて、林齢も若くて手入れもされていないのです。でも広葉樹は7割あると。「じゃあ、島根県の県産材は広葉樹じゃないんですか」という話をしたことがありますが、そういうことでも良いのではないかと思います。
松下:お二方から「スギ・ヒノキから離れても」という新しい視点をいただいたのですが、ちょっと話題をマーケットについて引き戻すと、いままではずっとスギ・ヒノキで勝負してきて、今は材価が安い流れになっている状況の中で、林家の人が丹精込めたスギ・ヒノキの価値を高めるということが必要だというお話しもありました。
それをマーケットに期待するとなると、どういうことになりますか。市場を「いちば」と読むか「しじょう」と読むかということがありますが、感覚的には「しじょう」の方がマーケットで、コスト・お金だけで取り引きされるイメージがあって、「いちば」の方はモノだけではない、なにか林家の想いが反映されるような取り引きというイメージがあります。その市場(いちば)とマーケットの差みたいなものが問われているのかなと思うのですが、どうでしょうか。
赤堀:なかなか共通解を言いづらいところです。先ほど内山さんがおっしゃった、桜井の材木屋さんとか、ある地域の製材屋とか問屋とか林家といった個別解としては、マーケットに価値をきちんと訴えて、その対価を得ながらやっている人たちはいます。しかし、そこに共通するものはなんなのかとなると…。基本的なところで言えば、ユーザーをよく知っていて、どんなニーズにどんな応え方をすればよいかを非常によく考えているということはありますね。
松下:市民的にいえば、顔の見える関係というのが一時期流行りました。山主さんの顔が見えるという、木材だけではないプラスアルファを反映していこう、という消費者側の運動でしたが、そういうところを期待されているということでもないのでしょうか。
赤堀:顔の見える家づくりももちろん有効なのですが、それで本当にそのモノの価値を最大限に発揮できるのかというと、ちょっとズレているような気がします。私が目指しているのは、やはり本当に良質なものを高く売りたいということです。だからすごく難しいのです。
木材流通・利用と地域づくり
松下:内山さんが上野村の例を説明されたように、いろんな価値をどこで具現化するかとなると、いちばん手頃なのは市町村となります。地域全体で森を含めた経済循環、資源循環、環境保全といったものをトータルでやっていくエリアは、やはり身近な市町村なのではないでしょうか。
内山:木というのは、一面では全国流通商品なんですね。地域の中で使われていく木と、全国展開する木は違うと考えてもらってよくて、それを全部同じように木材と考えるのが問題です。
例えば吉野の良い木を使っているのは、やはり京都や奈良のお金持ちが多くなるにしても、それを使うユーザーは全国にいます。ただし、それはとびっきり良いものですから、家のつくりも当然良くなります。20〜30年前くらいですが、奈良で吉野杉をフル活用して新築した家を見せてもらったのですが、非常に品の良いつくりですから、柱はそれほど太くはありません。柱が太いと品が悪くなるのですが、本数の問題ですから柱が細いから危ないということではありません。確かに素晴らしく良い家ですが、坪単価は300万円で、ちょっと私たちでは手が出せません。そういうところに提供していく木もあるわけで、そういうものは全国展開するということです。
それに対して一般的な木は、ある程度、それほど広域的ではない流通といいますか、つまり地域を考える必要があります。例えば山形県の金山町は金山杉で有名ですが、ここは100年かけて金山町の街並みを統一しようとしています。金山杉と金山の大工さんはたくさんいるので、それで家を建てていくという一種の住民運動のようなものです。外観を白壁で統一させたとてもきれいな建物ですが、中はいまの時代ですから「どうぞご自由に」ということです。これには設計費の補助に町が30万円を出しています。始めてから30〜40年くらいたちますが、かなりできてきていますし、町の外の人がそれを見て注文してくれることもあって、町外でも金山住宅がそれなりに売れてきています。
地域づくりのコンセプトがあって、金山は資源として木があるだけではなくて大工が多い町ですから、そういう資源を上手く使いながらやっているわけです。そうすると、一般材的なものを使っていくには、まず地域づくりの考え方が必要で、それと外とどう結んでいくかが必要になっていきます。
そうしたものの一方で、素晴らしく良い、秋田杉や吉野杉のような別の流通があるということです。
松下:地域づくりに自分たちがどう関わるかという視点でしたが、林家の想いが伝わるエリアという部分でのお考えはどうでしょうか。
赤堀:地域の具体的なエリア設定は、それこそ地域の要素は千差万別なので、なかなか一概には言えません。まず、木の利用の一番シンプルな形は自家利用です。それに近い地域利用にするというのは、非常に効果のあることだと思います。そのために、はちゃんとした製材所があるかどうかといった、エリアの中に必要なものがいろいろあります。
うちは自分でつくった米を自動精米器に持っていって、食べるたびに精米しています。それと同じように、うちは薪ストーブを使っていますが、山から伐った木は生木だからすぐには燃やせません。自動ペレット成形機みたいなものがあって、自分で伐った生木を持っていったら自動的にペレットが出来るみたいなものがあったら、なんてことを夢想したりもします。
同じように、役場に乾燥した薪を置いておいて、生木を持っていったら乾燥重量に換算して乾燥した薪に変えてくれるようなインスタントな仕組みがあっても良いのではないかと思います。薪の乾燥のような時間がかかってしまうところを工夫して、もっと直接的に山の利用が可能な仕組みというものを考えることで、その地域に山があることのお得感を発露できるようなことができれば、つながりがまた生まれてくるのかもしれません。
そういったものも移動の距離は限られてくるので、結果的に地域に限定することにつながるのですが、「あの地域は燃料も自分たちでやっているらしいぞ」という良い評判も立ったりして、上手くいくことができるのではないかと思っています。
松下:内山さんが上野村の例を説明されたように、いろんな価値をどこが負担するかとなると、いちばん手頃なのは市町村となります。地域全体で森を含めた経済循環、資源循環、環境保全といったものをトータルでやっていくエリアは、やはり市町村なのではないでしょうか。
林野庁の動きで森林環境税が始まりますが、これは市町村譲与税となりますから、市町村に森林がらみで使えるお金が下りていくということを考えると、少なくとも市町村が林野庁の言う通りにしなければならないということではないので、そういう意味では市町村というものに大きな可能性があるのではないかと思っています。
当日参加者からの質問
松下:時間が無くなりましたので、参加者からの質問にお答えしてもらおうかと思います。まず赤堀さんへの質問です。「角材から板へと言う需要の変化は分かりましたが、内山さんが言う需要が読めないという部分に関してどう思いますか」
赤堀:確かに読めませんけれど、明らかなトレンドとして、角材から板材への変化は需要のシフトとして必ず起きてくることだと思います。これはある程度裏付けられた話としていえるでしょう。
松下:続いての質問です。「木材を使えばいいというけれど、なかなか市民には分からない。市民が使えるようにする情報発信はどうすればよいか」。これはずっと課題としてあったと思いますが、どうでしょう。
赤堀:私がひとつ思っているのは、やはり良い材料を使うということです。間伐材だから使おうという考え方には、私は反対です。そうではなくて、ユーザーのメリットにつながる使われ方を考える必要があると思っています。森林整備が遅れているのは確かで、そこに間伐材を使って貢献しようということですが、それだと、どういう品質の木材が出てくるのかが曖昧で分かりづらいのです。
良い材とはなにか、節があってもよいのか、というのはいろいろですが、使う人のメリットになる木材の使い方ということに考え方をシフトしていかないと、本当の意味で、市民という階層に対して木材についての情報を発信することにつながらないと思っていて、個人的にはそろそろ間伐材という言葉から卒業しなければと思っています。
松下:続いて「AIとロボットが登場する時代に、森林と人間の共存はいかなるべきですか。」という質問です。
内山:森林というのは、90%までは自然がつくっている仕事なんです。ですから、人間がおこなう作業のごく一部にロボットなどが関与する部分も技術的にはできるでしょう。でも、自然がつくっている部分にAIとかロボットとか言っていても何もできません。そういうのは、かけ声だけで終わるだろうと思っています。
松下:続いて「建築材、バイオマス発電の燃料など以外に、新しい木の使い方は?」という質問です。
赤堀:セルロースナノファイバーみたいなものも出てきましたが、なかなか分からないですね。言われているのは、やはりこれまでに全く無かった使い方を、考えられれば考えたいということです。それが求められているという話もあります。
松下:続いての質問は、「森林に木材の単価だけではない、環境保全の価値を付加できないか」。国の造林補助金は本来、公益的機能の補助金であって産業補助金ではないということが第一義なのですが、いかがでしょうか。
赤堀:なにかしらの対価を公的に考えるべきだと思います。
松下:続いて「長伐期施業の伐期が分からない。」という質問です。
赤堀:伐期はもう、ゼロベースです。標準伐期齢はもうほとんど意味はありませんし、かといって長伐期にするのも、なかなか。ヒノキだったら現状ならば太らせれば高くなりますが、スギは、ある程度手入れしないとそれほど高くならないというマーケットの現状があります。ゼロベースで山の状況を見ながら判断するしかありません。
松下:長伐期施業だと相続税はどうか分かりませんが、あまり大きくして相続すると負担ばかりにもなってしまいます。
最後の質問ですが「森が人から遠い存在になっている理由は?」という質問です。
これは私の方から答えさせていただきますが、たぶん、人が森から遠くなっているのであって、森は遠くなっていないのではないかと思います。
いくつか質問を紹介できていませんが、予定の時間がなくなってきました。また、お二人の意見を上手く引き出せませんでしたが、「これから」という流れの中で、市町村という自治体エリアを考えることは非常に面白いと思います。それは、私たち市民にとって一番近い自治体であり、国よりも意見が通しやすいし、自分の生活に近いということがあるからです。森づくりフォーラムも、そのあたりの視点は持っていてよいのではないかと思います。
<鼎談者プロフィール>
赤堀 楠雄(あかほり くすお)
林材ライター1963年生まれ、東京都出身。林業・木材産業関係の専門新聞社勤務を経て1999年からフリー記者として森林、林業、木材、住宅などに関する取材・記事執筆に従事している。現在、「現代林業」(全林協)、「木材情報」(日本木材総合情報センター)、「森林組合」(全森連)などに連載中。長野県上田市在住。著書に「林ヲ営ム 木の価値を高める技術と経営」(農山漁村文化協会)、「図解入門 よくわかる最新木材のきほんと用途」(秀和システム)、「変わる住宅建築と国産材流通」(全国林業改良普及協会)、「有利な採材・仕分け実践ガイド」(全国林業改良普及協会、編著)等がある。
松下 芳樹(まつしたよしき)
NPO法人森づくりフォーラム理事。1992 年に「どんぐり銀行」活動の創設に係り、香川県の水源地、早明浦ダム上流の高知県大川村で水源の森づくりに参加。第5 回「森林と市民を結ぶ全国の集い」実行委員長。
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※本記事は、2018年5月21日行われた「森から人へ 人から森へ ~森をめぐる経済のこれから~」
鼎談の記録となります。本鼎談は林材ライターの赤堀楠雄さん、内山節、聞き手役の松下芳樹
(森づくりフォーラム理事)の3者で行われました。
尚、鼎談の前に行われた赤堀楠雄さん、内山節のそれぞれの講演記録は、冊子として
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