森林ボランティアの活動がはじまったとき、私たちの前に現れた課題のひとつは、 森の時間と人間の時間をどう調和したらよいかであった。森の木々は長い時間世界の中でその一生を遂げる。
この時間世界と付き合える私たちの仕組みをつくる。
それが森とともに生きる社会をつくるということの意味であった。この課題は今でも 私たちの前に置かれている。どうしたら持続する活動を創り出せるのか、という課題と して。
日本の森はなぜ荒廃しているのか。
私たちはそのことを問いながら森林ボランティアの活動を開始した。木材価格の低迷、山村の過疎化、住宅産業の問題。現象としてはいろいろなことが展開していた。
そしてその奥には、森の時間と付き合うことができなくなった人間たちの現実があった。 いうまでもなく、森の木々は数百年、ときに数千年という時間スケールのなかで生 きている。 林業に必要な時間も、どんなに短くしても50年を超える。ところが人間たちの世界は1年単位で変わっていってしまうのである。
人間は短い時間スケールのなかで生きるようになり、森の時間と付き合うことができなくなっていった。今日の人間たちには、たとえば50年という時間は、絶望的に長すぎる。
この問題にどう向き合ったらよいのか。私たちはそのことを真剣に考えていた。
この問いに答えを出すためには、私たちの社会を変えなければならない。私たちの考え方も変えなければならない。
森とともに暮らす社会をつくるには、 私たちの社会をどう変えればよいのか。
私たち自身はどう生きればよいのか。
山村を守っていける社会をつくろう。 林業者が誇りをもって生きられる社会をつくろう。 私たちはそう考えた。
そのためには市場経済の価値尺度だけが価値基準に なっている現代を、少しずつでも 変えていかなければいけないのではないか。今日明日の課題に振り回される私たちの生き方を、変えていかなければいけないのではないのか。
この問いは、私たち自身にも降りかかってくるものであった。
果たして私たちは、森の時間と付き合えるような森林ボランティアになることができるのか。 それだけの持続性をもった活動を創造することができるのか。
もちろん、ひとつの活動組織が100年も続くということは考えられないだろう。ひとつひとつの森林ボランティアの組織は短時間で消えていくかもしれない。
だが、そういうことがあっても、森林ボランティアから森林ボランティアへと活動が受け継がれ、 森の時間と付き合っていけるような活動のあり方を見つけだす。それが私たちの課題でもあった。
それができなければ、私たちは一時の自分を満足させるために森と関係を結んだだけで、 本気で森とともに暮らす社会をつくろうとはしていなかったことになる。
「森づくりフォーラム」もまた、森とともに暮らす社会をつくるために生まれた組織である。そのことを主張し続けてきたのが「森づくりフォーラム」である。
この私たちの原点を見つめながら私たちの活動のあり方を考えていこうではないか。
私たちの前には森があるのだということを、忘れずに歩もうではないか。
2009.01.01 森づくりフォーラム会報130号寄稿