内山 節 ライブラリ

産業』

 

産業』

いまから四十年くらい前の私が森林に関心を抱くようになった頃は、戦後に造林された木が成長すれば、日本の林業は復活するのではないかといわれたものだった。確かに今日では、山の木は太くなっている。しかし、残念ながら、経済行為としての林業はますます厳しくなっている。

林業もまたひとつの産業であるという視点に立てば、産業は生産からははじまらない。たとえば房総半島や三浦半島に漁村が生まれたのは江戸時代のことで、それは江戸という大都市が形成されたことに促されている。

消費地としての江戸の町が生まれ、そこに魚介類を運ぶ方法がつくられたことによって、漁を生業にすることが可能になったのである。それまでは、房総などでも海辺の暮らしがあるだけだった。いくら魚がいても、流通させる方法がないのなら、大量に魚を捕っても意味がない。

生産に意味を生じさせるのは、流通、消費システムの方である。

それは農業でもいえることであって、たとえば家族が食べる分だけなら、それほど多くの生産量は必要ない。にもかかわらず、自家消費分を超える稲作がおこなわれるようになったのは、米は古くから流通システムをもっていたからである。

江戸時代までの米の流通の多くは、年貢、租税というかたちでおこなわれていたが、それもまたひとつの流通のかたちであることに変わりはなかった。保存のきかない野菜類は都市近郊で生産されていたが、それを可能にしたのも、都市に野菜を売る仕組みがつくられたからである。

林業も同じ道をたどっている。江戸時代に入ると各地に林業地が形成されていくけれど、それを促したのも城下町などの都市の形成である。木材の消費地がつくられ、輸送手段が整備された。もっとも木材の長距離輸送は河川と五百万石船を用いるのが普通だったから、林業地は流筏が可能な河川上流につくられている。

産業は流通、消費の体勢が生まれてこそつくられていくのである。

ところが日本の近代史では、木材は流通させれば商品になる時代がつづいた。明治以降には輸入材も若干は入っていたけれど、基本的には国産材でまかなわなければならず、しかも社会の近代化は新しい建築の部面でも土木工事でも、大量の木材を必要としていた。

伐りだして運べば売れるのだから、こうなれば山に伐採できる木があるかどうかが勝負になる。この状況が、山に木の蓄積があることを重視する意識を生むことになった。

実際にはこの時代にも、流通と消費の存在が山での生産を可能にしていたのだが、良好な消費市場の持続がそのことを見失わせたといってもよい。それが山の蓄積量を重視する傾向を定着させた。

もっとも私自身は、まず山から考えるという発想は好きだ。工業でも、出発点に物づくりをする人たちがいて、それが市場に出されていくという経済の方が気分はいい。なぜならそれは、生産している人たちが尊重される社会を感じさせてくれるからである。だが、残念ながら、産業はそういうかたちでは生まれてこない。出発点にあるのは、流通、消費のシステムなのである。

木材輸入が全面的に自由化された一九六四年以降、日本の木材市場には、大量の輸入材が入ってくるようになった。さらに鉄骨住宅などの木材代替商品が生まれたばかりでなく、都市住宅としてはマンションが一般的になってきた。土木で使われていた抗材や建築のときの足場丸太も鉄パイプなどに取って代わられていく。輸入材と需要構造の変化によって、木材を取り巻く環境が根本的に変わった。

とすればこの変化に応じた流通・消費システムの再整備がなければ、いくら山に木があったとしても、産業としての林業は成り立たないはずである。需要が弱いのに生産をすれば、生産過剰になって生産価格の低下を招くだけなのである。

だがこのように考えていくと、産業としての林業には難しい問題があることに誰でも気づくだろう。その難しさは木材生産にかかる時間の長さに起因している。木の成長には五十年、百年が必要である以上、市場構造や需要構造が変わっても森はそれに対応できない。

とすると、産業としての林業は市場が逼迫しているときにしか成立しないということになる。もちろん新たな需要の掘り起こしとして、輸出やバイオ発電などに活路をみいだそうとすることはできるが、森林所有者に利益をもたらすような価格でそれらが実現するとは思えない。

もしかすると、社会的な産業として林業をつくろうとしたこと自体のなかに、根本的な無理があったのかもしれないのである。

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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第318回『産業』より引用しています。
(2017年11月発行号掲載)
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プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。