内山 節 ライブラリ

『ローカルな森』

『ローカルな森』

フランスの森は、ほとんどが雑木林である。といっても、それほど多種多様な木が生えているわけではない。その理由は気候的なことにもあるが、十九世紀に入ってはじまった産業革命の影響が大きかった。初期の製鉄業などでは、大量の木炭を必要とした。製鉄に石炭が使えるようになるのはコークスが開発されてからで、それまでは木炭で溶鉱炉を動かしていたのである。

そういうこともあってフランスの森の木は、次々に伐採され木炭に変えられていった。現在の森の大半は、こうして生まれたハゲ山を修復することで生まれたもので、こういう経緯からフランスの森林管理は、治山治水に重点が置かれるようになった。

ハゲ山を修復する過程でとられた方法は、主として種まきだった。ドングリの実などを山にまき、実生の木を育てたのである。こうして現在のフランスの雑木林の森が生まれたが、一種の人工林だから、多種多様な木が混在しているという雰囲気ではない。

森は歴史を背負っているのである。森を巡る過去の出来事を背負いつづけて、現在の森は存在する。それは日本でも同じことであって、その地域に暮らす人たちがくり返し薪を獲ってきた森もあるし、江戸時代からつづく林業地の森もある。戦中戦後の乱伐や、戦後の拡大造林の歴史、それらをすべて背負いながら、日本の森も存在する。

とともに、それぞれの地域の暮らしや文化も、森の状態によって変わっていく。フランスを歩いていて感心することのひとつに、曲がった広葉樹の幹を使って、実に器用に家がつくられている、ということがある。パリのような都市部では石で外壁をつくっていく建物がほとんどだが、この場合でも内装や間仕切りは木造である。

農村に行くと完全な木造の家もけっこうあって、フランスは森といえば広葉樹の森だから、そこからでてくる木を使う大工技術が発達したのだろう。とともに広葉樹の木は枝が多く、一本切り倒すと建築材としては使えない部分がいっぱい出てくる。それが暖炉などで薪を使う生活を支えた。人間たちの歴史が森に反映し、森の状態がその地域の暮らしや文化に影響を与える。

夏が終わりはじめた頃、私は久しぶりに能登の森をみにいった。石川県の能登半島は、昔からアテ林業の地として知られている。アテとはヒバのことで、関東地方だとアスナロがヒバに近い。ヒバといえば青森ヒバが有名だが、能登もヒバの多い地域である。といってもいまでは戦後に植えられたスギが大きく伸びていて、能登の林業も出荷材の多くはスギに変わってきている。

ヒバは陰樹である。日陰で育つ木だから、一斉造林のようなやり方には向いていない。理想的には大きくなったヒバの下から、新しいヒバが伸びている多段林をつくっていくのがよいのだけれど、このやり方だと択伐林業になって枝の強いヒバでは手間もかかるから、戦後はスギを植えることが多くなったのかもしれない。

陰樹だけに初期成長が遅く、成木するのにスギより時間がかかるということもあったのだろう。といっても価格的にはいまでもスギの二、三倍の値で取引されているから、スギ林のなかに下層木としてヒバを植えることもおこなわれている。

一般的にはヒバといえば、土台に使う木というイメージが強い。ヒバは腐りにくく、シロアリなども寄せ付けないから、土台には最適である。といっても、関東では昔の家の土台は栗が使われていて、栗もまた腐りにくく虫の付かない木である。関東の山にはたまにアスナロはあっても、ヒバは自生していない。栗なら山にあったから、ヒバではなく栗になったのだろう。

特殊な用途としては、寿司屋のカウンターにヒバが使われた。ヒバは製材した当初は白っぽい木肌をしていて、面白みのない木である。それが逆に清潔感を生み、また殺菌力も高い木だから寿司屋のカウンターなどには向いていたのだろう。ただし、寿司屋は毎日きれいにするから白い木肌を維持できるが、建築材で使うと次第に黄ばみを帯びてきて、二十年もするととてもよい感じになる。能登では、総ヒバの家が高級な家として好まれた歴史がある。

能登でもヒバを育てる林業が森のかたちをかえ、またそのことがこの地域の建築技術に影響を与えた。歴史を背負いながら森が生まれ、その森が地域の暮らしや文化に影響を与えてきたのである。

とすると森はローカルな世界をつくりだしていく装置だといってもよいのだろう。だからローカル性の薄い森林管理がすすめられていくと、森は地域社会から疎遠なものになって、地域の森としては荒廃していく。森とともに暮らす人々に求められているものは、ローカルに考え、ローカルに行動する営みなのである。

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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第329回『ローカルな森』より引用しています。
(2018年10月発行号掲載)
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プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。

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