森づくりフォーラム・ニュース

2025年5月14日

【森づくりフォーラム30周年 特集記事】 『多様な人のかかわりが多様な森林を育む。 森林づくりの市民団体ネットワーク「森づくりフォーラム」創立前後』中沢 和彦

『多様な人のかかわりが多様な森林を育む。 森林づくりの
 市民団体ネットワーク「森づくりフォーラム」創立前後』
中沢 和彦

※本記事は月刊「山林」(大日本山林会2023年3月号)に掲載されたものを一部変更しています。
※森づくりフォーラムは2025年6月に設立30周年を迎えました。
 現在、30周年を記念したバースデードネーションを実施しております。
 ご寄付・ご支援をお願いいたします。

 1995年6月、首都圏で活動する森林づくりの市民団体ネットワーク「森づくりフォーラム」が発足しました。その活動は、市民団体が抱える問題の解決、交流、情報交換、森林所有者・行政・関係機関と接点を持ちながら「市民参加の森林づくり」をすすめてきました。

 ボランティア元年ともいわれる1995年に発足した「森づくりフォーラム」、その前後数年を振り返ります。

■はじまりは奥多摩町の森林

 森林ボランティアの草分けともいえる「草刈り十字軍」は、1974年除草剤散布に反対し植林地の下草を手鎌で刈る活動を始めました。1980年代には、白神山地(青森・秋田)ほか各地で、原生的な森林の保護を訴える市民団体が活発な活動を続けました。

 この時期、「放置されたままのようなスギ・ヒノキ人工林」への危惧などから、森林づくりに関わる市民団体がいくつも東京近郊で活動を始めています。こうした団体で実行委員会をつくり、活動の課題やこれからについて話し合う催しを企画しました。1994年2月11日(金・祝)~12日(土)に開かれた第1回「森林(もり)づくりフォーラム」です。市民・森林所有者・行政関係者など70人ほどが東京都奥多摩町の東京農業大学奥多摩演習林に集まりました。そして、「多様な人々による森林づくりを継続していくために」をテーマに話し合いました。こうした集まりは首都圏では初めてでした。

第1回森林づくりフォーラム(1994.2.11-12 東京都奥多摩町 立って話す園田安男さん)

 参加した市民団体は、森林クラブ、サヘルの会、エコ・コミニュケーションセンター、西多摩自然フォーラム、花咲き村、浜仲間の会などで、林業家・行政関係者・森林組合からの参加もありました。夜遅くまで話し合い、翌朝起きると雪でした。 

 第1回森林(もり)づくりフォーラムの後、今後のすすめ方について話し合いました。

 そして、森林と関わるための情報交換、安全な作業技術の習得、リーダー養成、森林作業体験の場づくり、山側と町側との交流などの課題が出ました。これらは、その後「森づくりフォーラム」がどのような問題意識で設立され、なにを活動の柱としていくかについての「きざし」が見られます。

 1994年7月~8月、東京都奥多摩町、日の出町、檜原村、五日市町で市民が森林作業体験をする「下草刈り大会by500」(第2回森林(もり)づくりフォーラム)を企画。積極的に参加を呼びかけ、当初目標の500人を超え若い世代を中心に600人あまりが参加しました。

下草刈り大会(1995)

 下草刈り大会では、リーダーの事前研修、安全対策、医療体制、用具(大鎌やヘルメット)など、課題は少なくありませんでした。

 また、作業場所の問題もありました。企画段階では「放置林を抱える森林所有者の協力を」との思いがありました。しかし、それは難しく、各団体が日頃からお世話になっている林業家に場所提供をお願いしました。

 打合せ、場所選び、準備など、場所提供者の負担も小さくありません。当日は、作業後に参加者と林業家が交流する時間を設けました。

 1995年2月18日(土)・19日(日)、シンポジウム「多様な人々による100年の森林(もり)づくりをめざして」(第3回森林(もり)づくりフォーラム)を開催し、350人が参加しました。 

「多様な人々による100年の森林づくりをめざして」をテーマに第3回森林づくりフォーラムを開催(1995.2.18-19、東京農大)


■森づくりフォーラム創立

 こうした取り組みから、個別の団体だけでは解決しにくい課題に取り組んでいこうと、森林づくり市民団体のネットワーク森づくりフォーラムを1995年6月13日に創立します。発起人は、市民団体参加者、林業家、公務員など19人。代表は「花咲き村」の園田安男さんです。

 この森づくりフォーラム創立の一か月ほど前、1995年5月に「みどりの羽根募金」が「緑の募金」として新たにスタートしています。同年には緑の募金制定記念事業として「フォレスト21さがみの森」が神奈川県津久井町(現在は相模原市)で始まります。

 これは、東京神奈川森林管理署が[場所(国有林)]を、国土緑化推進機構が[資金]を、市民が[汗]を、それぞれ出し合いすすめる市民参加の森林づくりです。場所は神奈川県相模原市にある伐採跡地4.51haです。

 森林づくりの計画と実践は三者でつくる「さがみの森連絡協議会」(事務局/森づくりフォーラム)が中心となってすすめます。

 計画段階から幅広く参加を呼びかけ、それに市民団体などで活動する専門家ほか多くの人が応えました。現地調査に基づいて全体を21区域に分け、森林づくりの計画を立てました。 

さがみの森 伐採跡地の整備作業(1997)

さがみの森 市民参加でつくった計画に基づいて植樹(1997)

さがみの森 植樹(1997)

さがみの森植樹祭(1998.4)

 1997年3月に地拵え大会、4月に第1回植樹祭、それぞれ80数人の参加で行いました。より多くの声を反映させた森林づくりをすすめていこうと、11月には誰もが参加できる「語り合おう未来の森を」を現地で開きました。

 多様性と継続性をキーワードにした市民参加の森林づくりがスタートしました。

 1996年2月16日~18日、第1回森林(しんりん)と市民を結ぶ全国の集い(主催/森林(しんりん)と市民を結ぶ全国の集い実行委員会・国土緑化推進機構 事務局/森づくりフォーラム)が東京で開かれました。テーマは「市民が支える森林づくり」で、全国から850人が参加しました。 

「第1回森林と市民を結ぶ全国の集い」パネルディスカッション 右端が内山節さん 3人目坂井武志さん(1996.2.16~18、東京)には850人が参加

 初日と最終日は全体会でシンポジウムほかが行なわれ、2日目は以下の14テーマに分かれての分科会でした。

グループ「育てる」
分科会 1 市民の視点から、今後どのような森林づくりをすすめていくか
分科会 2 里山の森林づくりをどう進めるか
グループ「守る」
分科会 3 環境破壊や環境汚染等、森林を脅かす問題にどう対処していくか
分科会 4 森林とあらゆる生きものが共存する森林を保つためには森林づくりを
     どう進めたらいいか
グループ「結ぶ」
分科会 5 森林の諸活動を活発に進めるためには、市民参加の場をどう発展させるか
分科会 6 都市と山村を結ぶ交流活動をどう進めるか
グループ「学ぶ」
分科会 7 森林から学ぶ―理解や体験学習を発展させていくためのプログラムづくりや
       リーダー養成をどう進めるか
分科会 8 子どもたちに対する森林教育をどう進めていくか
グループ「暮らす」
分科会 9 日々の暮らしのなかでもっと森林とつながり森林を活用するには、
     どのように木を使っていけばいいか
分科会10 人と森林がともに暮らせる森林とは? 暮らしの問い直しを含め、森林と
               直接つながるにはどのような方法があるか
グループ 特別分科会
分科会11 行政・推進機関の役割を問い直し、市民とともに進める森林づくりを考える分科会12 日本の森林から世界の森林を考える
分科会13 森林活動を進めるグループのための連絡会や拠点づくり、活動を高めるため
               の方法を考える
分科会14 日本の文化をはぐくんできたそれぞれの地域の文化のなかから、
      新しい森林づくりの心を考える

 また、森林にかかわってさまざまな取り組みや活動を行っている方々によるワーククョップや全国の市民団体の活動紹介展示、そして交流会も行われました。3日間は、「森林と市民」にとどまらず立場や世代を超えた「人と人」を結ぶ機会となりました。

 奥多摩町での森林(もり)づくりフォーラムの経験から「その全国版を開きたい」との思いが関係者の協力により実現しました。最終日は、奥多摩でのフォーラム同様に雪になりました。

 「集い」は、2021年のコロナ禍による直前での中止を除いて毎年開かれています。

■三人
 森づくりフォーラム創立に中心的にかかわった三人を紹介します。

 「経営」の坂井武志さん、「現場」の園田安男さん、「地域」の羽生卓史さんです。もちろん、多くの人がかかわって森づくりフォーラムはスタートしました。三人は、市民参加の森づくりに強い関心を持っていました。そして、比較的時間の自由がきく仕事に携わってもいました。それぞれの経験が森づくりフォーラムという「かたち」をつくりました。

〇森林との出会いは冊子の制作
坂井武志(さかいたけし)さん (1937年-2017年 北海道生)
森づくりフォーラム初代事務局長

 東京・新宿区四谷にグラフィックデザイン事務所を構えていた坂井さんが、森林と出会ったのは47歳のときでした。冊子制作で市民団体「森林(しんりん)クラブ」を取り上げたのがきっかけでした。

 森林クラブは1983年に東京周辺の学生や社会人などでつくられました。1985年に群馬県下仁田町(1.6ha)と1987年に神奈川県山北町(1.1ha)の国有林で地拵え作業から森林づくりを続けていました。分収造林契約は下仁田町が51年、山北町が60年です。

 「この時代に、何十年も先を考えて森林づくりに取り組んでいる若者がいる。それが驚きだった」

 すぐに会員となり、週末にオートバイで群馬に向かい、若者といっしょに森林作業を続けました。しばらくして、森林クラブ事務局が坂井さんの事務所に置かれました。

 当時、森林クラブでは夏休みに子どもたちが森林体験する4泊5日の「子ども森林学園」開いていました。坂井さんのキャンプネームは「ファルコン」、1984年公開のファンタジー映画に登場する愛嬌ある真っ白なドラゴンです。ウエイブのかかった髪型からそう名付けられたようです。季節感を楽しむことができる雑木林が好きだという坂井さんですが、市民団体での話題は、どうしても手入れ不足の人工林になります。

 「スギやヒノキは植えた以上、手入れが欠かせない。ところが、放置されたままのような若い人工林がたくさんある。雪や風で倒れたスギがそのままになっている。災害の危険もある。ということは、上流の森林問題は下流に住む私たちの生活の問題でもあるわけです」

 「だから、自分たちでできるとはやろうよ」

 そうした思いには強いものがありました。関係する人や機関などを訪ね、組織としての森づくりフォーラムを整えました。森づくりフォーラム事務局は、やはり坂井さんの事務所にお世話になりました。

 1996年10月に東京都日の出町に転居、住まいのすぐ近くから森林が広がっています。そして、1997年春、坂井さんはデザイン事務所を閉じ、森づくりフォーラム専従となります。坂井さんの事務所に間借りしていた森づくりフォーラムは「独立して」東京都三鷹市に事務所を置きます。その後、東京都文京区に移転します。

 還暦を過ぎた頃、こんなふうに話しています。

 「長生きをしたいとは思わないけど、人間が、日本の森が、社会が、どんな選択をするのかを見届けるために、あと20年は生きたいなあ」(月刊「現代林業」1999年12月号)

 森づくりフォーラム事務局長として「森林ボランティア保険」(現グリーンボランティア保険)「フォレスト21さがみ森」「森林と市民を結ぶ全国の集い」「政策提言(森づくり政策市民研究会)」「リーダー育成」「安全技術習得制度」などなど、ネットワーク組織ならではの取り組みを続けてきました。

 事業もスタッフも増える一方、運営が厳しい時期もありました。そして、健康状態のこともあり2009年の第10回通常総会で常務理事・事務局長を退任、2017年1月に亡くなりました。

 2017年3月、日の出町「森の家」で、園田安男さんの呼びかけで「故坂井武志さんをしのぶ会」が開かれました。市民団体のメンバー、森林所有者、行政関係者、森が気になる地域のみなさん、20歳代から80歳代まで30数人が集まりました。多くは職業とは別の「森の時間」をもってきた人たちです。

 多様な人が森づくりに参加しやすい仕組みづくりを、とスタートした森づくりフォーラムです。この日、集まった人はたしかに多様でした。

 タバコを手に話す低い声と笑顔、「さがみの森」には愛犬といっしょに通ってもいました。そんな姿が印象に残っています。

〇山はみんなのもの
園田安男(そのだやすお)さん (1949年 大分県生) 森づくりフォーラム初代代表

 学生運動にかかわり大学を中退後、バングラディッシュやネパールなどの人々を支援するNPOに勤務。そして、40代に入る頃に「山の見えるところで暮らしたい」と、東京都日の出町に転居します。森林組合作業班で働きながら、福祉関係のボランティア活動をしていた「花咲き村」に参加します。

 1986年、多摩地域の森林が雪害にあいました。しかし、しばらくしても放置されたままの被害林が目立ちました。このことをきっかけに「一般の人たちと林業関係者とで地域の森林について語る」ところから、「花咲き村」は森林づくりに関わるようになります。

 園田安男さんについて、森づくりフォーラム広報誌に坂井武志さんが記しています。

 「物事の本質を見抜く感覚が鋭く、ポンポンと飛び出す発想がユニークで面白い。自分の意に沿わないことには、大雑把で投げやりな物言いをするから誤解を受けることがあるが、内実はシャイで面倒見がよく、頼まれたらイヤといえない」

 当時、「花咲き村」では「おじさん」と呼ばれ親しまれていました。話し合いの場でも作業する森林でも、参加しやすい雰囲気をつくり出します。

 1995年、森づくりフォーラム創立時に代表となります。そして、NPO法人となる時点で副代表となりました。その時、広報誌にこう記しています。

 「森づくりフォーラムはネットワークを呼びかけています。しかし、ネットワークを構成する団体が充実しなければ形骸化します。そこで、もう一度花咲き村に戻ろうと思いました」

 NPO法人化後も2年間副代表として、広報誌編集や情報網の整備などに携わりました。

 「地域と結びついたボランティア活動でなければ意味がない」
 「山は誰のものでもなくて、みんなのもの」
 それが、園田さんの根本にある考え方です。

 市民団体の取り組みは、森林を考え森林にかかわるきっかけをつくりました。それをさらにすすめていくには、どうすればいいのでしょう。

 「より主体的に事業体として森林にかかわること」
 「めざすべき森づくりの指針をもって事業としてすめられないか」
 それを、園田さんは「市民参加の森林組合」とも呼びました。

 2010年に一般財団法人みんなの森財団を設立します。寄付を募り、日の出町で3カ所3.8haの森林を購入しました。その後、森林を増やし、森林活用を続けています。

 さらに、2017年5月にNPO法人森の包括支援センターを設立します。その目的は「小規模山林所有者のサポート、青少年の体験活動、森づくりを担う人づくり」です。「みんなの森財団」の森林管理も支援センターが担います。現在40数人が定期的に活動に参加しています。ふたつの組織の責任者・園田さんは、課題を抱えながらも「市民参加の森林づくり」をすすめていこうとしています。

 大分の山あいにある園田さんの実家は森林を所有しています。子どもの頃に遊んだ野山が、森林や地域にかかわりつづける原点のようです。

 2017年「故坂井さんをしのぶ会」で寄せられた会費等を、坂井さんの奥さまにお渡ししようとしたところ、「森林づくりに役立ててください」と受け取っていただけませんでした。園田さんは、奥さまや関係者と相談して「みんなの森財団」による「森林買い取りに使わせていただいた」とのことです。

〇地域から市民団体をサポート
羽生卓史(はぶたかし)さん (1939年-2010年 東京生) 林業経営者

 羽生家は東京都日の出町で代々林業を営んできました。卓史さんは18代目です。40歳代でサラリーマンを辞め、日の出町に戻り林業経営を継ぎました。

 1986年から2000年まで日の出町森林組合長、1996年東京都森林組合連合会会長、1988年から1996年まで町教育委員会委員長、1997年に設立した社会福祉法人 「山の子会」初代理事長、森づくりフォーラム理事などを務めています。

 羽生さんは、森づくりフォーラムのほか地域で活動する市民団体や芸術家などの取り組みに積極的な協力をしていました。

 「関係者だけが集まって愚痴を言い不満をいう。これではダメですよ。門戸を開いていかなければ」

 そう考え実践していました。

 1996年、羽生さんは所有林の木材ほかを使って「日の出山王・森の家」(約100㎡)を建てました。設計は、羽生さんも会員となっていた「東京の木で家を造る会」の建築士でした。2階はいまも各種の集まりなどに使われています。しばらくの間、森づくりフォーラム日の出事務所として活用させていただきました。

 1997年、森づくりフォーラムでは市民を対象にした「森づくり講座」を東京ボランティア・市民活動センターで毎月開いていました。ある回のテーマは「林業は採算がとれるのか」でした。講師が木材価格や経費などの推移を示しながら現状を解説しました。林業経営に困難さを突き付けていたのは、材価低迷のほかに相続税がありました。

 この日も参加していた羽生さんは、自身の相続について具体的な税額をあげながら参加者に伝えました。その額に皆驚きました。

 「(それでも林業を続けるのは)意地ですよ。何代も前から森林を育ててきて、私の代で中断にするわけにいかないという意地です。後になって、ああいう時代にもちゃんと森林を育てていたといわれるようでありたい」

 森づくりフォーラムの打合せの後は酒席(コロナ禍以前)です。

 そろそろ引き上げようかという段になると、長髪・長髭・オーバーオール姿の羽生さんがおだやかに参加者に声をかけます。

 「食べ物を残さないようにして帰ろうよ」

 1997年頃、日の出町に森林を削って廃棄物広域処分場がつくられました。まずは各自がゴミを増やさないこと、処分場の地元生活者の思いでした。羽生さんの森林も処分場用地にかかっていました。売却に判をついたのは土地所有者の最後の方だったと聞きました。そして、売却代は延納していた相続税に充てました。

 羽生さんの柔軟な姿勢と人柄について、園田さんは「最後のお大尽」と敬意を込めて話します。園田さんは若い世代から新たな取り組みの相談があると「羽生さんだったらどうするだろうか」が、ひとつの基準になっているとのことです。

 焼失して明治期に建て替えられた羽生さん宅は、その門構えも大木に囲まれた姿も、いかにも旧家です。

 2000年頃だったでしょうか、無理をお願いして「羽生さんの庭で酒を飲む会」を数人で開かせていただきました。楽しく贅沢な夕暮れでした。

■安全・安心と政策提言
 森林での作業には安全な技術が欠かせません。1997年「森林ボランティア技術講習会」として、チェンソー講習や間伐講習を行い、その後も継続して技術講習やリーダー研修などを実施しています。「森づくり安全技術・技能全国推進協議会」の立ち上げにも協力しました。また、どのような森林をつくっていけばいいのか、「市民参加の森づくりにおける森林施業ガイドライン」の検討をすすめました。多様な森林機能の発揮をめざす体系的なガイドラインです。

 1996年4月、保険会社と森づくりフォーラムが包括契約を結び「森林ボランティア保険」をスタート。その後「グリーンボランティア保険」と名称を変え、現在も多くの団体などが活用しています。

 森づくり政策市民研究会は1997年に、哲学者の内山節さん(森づくりフォーラム顧問)を中心に研究者・公務員・新聞記者・森林ボランティア・林業家など16人が参加しました。「別組織ではあるけれど森づくりフォーラムのシンクタンク的部門」といった位置づけでした。 

シンポジウム「未来に責任を果たせる森林政策を求めて」内山節さんの講演(1998.3.15)

 1995年5月、林政審議会の中間答申が出されるとのことから、緊急提言として『新たな森林政策を求めて―森林ボランティア活動をすすめる市民からの提言』(第1次提言)を発表。8月、「私たちの国有林を求めて―林政審議会中間報告ならびに国有林野事業改革に対する市民からの緊急アピール」を発表。11月「未来に責任を果たせる森林政策を求めて-森林ボランティア活動をすすめる市民からの第二次提言」。その後、森づくりフォーラムと一体になってシンポジウム、研究会、公開講座などを続け、2000年11月「新たな森林社会の創造を求めて」-森林ボランティア活動をすすめる市民からの第三次提言を公表しました。

 この「提言」内容などについては『森の列島(しま)に暮らす』(内山節編著2001年)に掲載されています。なお、同書は第3回NIRA大来政策研究賞(地域における政策研究部門)を受賞しました。 

『森の列島に暮らす』森林ボランティアからの政策提言 内山節編著(2001)

■2000年1月、 NPO法人に
「多様な人々が森づくり活動に参加しやすい仕組みを築き、森林と人とがともに暮らせる社会を創造するために」(設立趣意書)

 2000年1月 、森づくりフォーラムはNPO法人となります。顧問だった内山節さんが代表に、副代表に園田安男さん、常務理事・事務局長に坂井武志さん、理事は21人で北海道・秋田・岩手・埼玉・東京・神奈川・三重・大阪・山口・香川・大分などの方々です。

 事業内容は、①ネットワーキングの促進 ②市民参加の森づくり促進(市民講座、シンポジウム、フォレスト21さがみの森ほか) ③森林政策に関する提言 ④人材の育成 ⑤森林ボランティア保険 ⑥情報の収集・提供および調査研究などです。

 ゆるやかではあるけれど全国規模でのネットワークとして再出発し、事業規模を大きくしていきます。

 2000年代に入ると、森林づくりに関わる市民団体は増えていきます。行政などによる森林ボランティアへの支援策が拡充されていきます。2003年、林野庁は森林ボランティア支援室を設置しています。

 そして、市民と森林のかかわり方は森林整備だけでなく、森林環境教育、森林レクレーション、森林セラピーなどさらに多様になっていきます。また「週末の森林ボランティア」ではなく、森林近くに生活して森林にかかわる仕事をしたいと考える若い世代も増えていきます。

 事務局長だった吉村妙子さんは、2006年頃の森づくりフォーラムについてこう記しています。

 「個々の事業での結果を残しながらも、本来果たすべきことは何かという根本的なミッションでは、どこかこのままでいいのかと疑問を抱きながら進まざるを得ない状態が続いている。そういうもどかしさのなかで、新しいビジョン構築の必要性を感じている」(『みどりの市民参加』木平勇吉編著2010年)

■多様であるということ
 私は、1975年から2012年まで林業団体に勤務し、平日の夜や週末に創立前後から森づくりフォーラムにかかわりました。第1回森林(もり)づくりフォーラムにも、第1回森林(しんりん)と市民を結ぶ全国の集いにも、実行委員として参加しました。「フォレスト21さがみの森」が始まった頃、小学生だった子どもといっしょに植樹しました。「多様な人々」の一人として活動に参加しました。その後、参加できなかった時期を経て、退職後はおもに在宅で広報関係のサポートをしています。

 いま、思い出しながら当時の資料・広報誌・書籍などを読み、関係者の話を聞くと、創立の頃の森づくりフォーラムとその周辺には「熱」や「勢い」がたしかにあり、多方面からの「期待」も背に感じていたように思います。

 この30年、森林への期待と危惧は大きくなっています。森林をめぐる状況も、市民が森林とかかわる方法も、都市と山村の関係も変化しています。そして、森林ボランティア活動はより広く多様になっています。ネットワークとしての森づくりフォーラムも、その変化のなかにあります。

 2021年、森づくりフォーラムは『人工林の多様性を高める森づくり事例ガイド』をまとめました。「はじめに」に、こんな文章があります。

 「私たちは、森林の生き物が多種多様になればそれでいい、とは思っていません。そこに至る過程で、より多くのさまざまな人がかかわっていくこと、かかわっていけることが多様性のある森づくりと考えています」 

(NPO法人森づくりフォーラム事務局)               

この文章は月刊「山林」(大日本山林会2023年3月号) に掲載したものを
一部変更しています。

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参考にした書籍と記事
(1990~2000年頃の市民参加の森林づくり関連)

・『フォレスト21さがみの森』森林ボランティアによる新しい森づくりへの挑戦 
  フォレスト21連絡協議会,2000
・『フォレスト21 さがみの森の森づくり』フォレスト21さがみの森連絡協議会,
  2020
・第1回森林と市民を結ぶ全国の集い『分科会事例集』『報告書』 
 森林と市民を結ぶ全国の集い実行委員会,1996年 
・『新たな森林社会の創設を求めて』森林ボランティア活動をすすめる市民からの
 第三次提言 「森づくり政策」市民研究会,2000
・『森の列島(しま)に暮らす』森林ボランティアからの政策提言 
 内山節編著 コモンズ,2001年
・『《森林社会学》宣言』森と社会の共生を求めて 内山節編 有斐閣選書,1989
・『山へ入って草を刈ろう』 草刈り十字軍17年の軌跡 
 足立原貫 野口伸 朝日新聞,1991
・『私は森の案内人』田中惣次 創森社,1994
・『森林環境保全マニュアル』木平勇吉編著 朝倉書店,1996
・『森林ボランティアの風』日本林業調査会編 日本林業調査会,1998
・『わたしたちの森林づくり』新装版 森林クラブ編 信山社,1998
・『森をつくる人びと』浜田久美子 コモンズ,1998
・『森林再生』~水を育む豊かさを 神奈川新聞編集局編 神奈川新聞社,1998
・『森林ニッポン』足立倫行 新潮選書,1998
・『遊ぶ!レジャー林業』都市(まち)から見える森林(やま)がある 
  羽鳥孝明 日本林業調査会,2001年
・『これがボランティアだ』森口秀志編 晶文社,2001
・『森へ行こう、山村へ行こう』NPO地球緑化センターの森林ボランティア活動 新田均 春秋社,2002
・『森林と市民参加』森のセミナー№11 全国林業改良普及協会編 
 全国林業改良普及協会,2002
・『森林ボランティア論』山本信次編著 日本林業調査会,2003
・『森の健康診断』100円グッズで始める市民と研究者の愉快な森林調査 
 丹羽健司ほか編著 築地書館,2006
・『割り箸が地域と地球を救う』JUONNETWORK佐藤敬一 鹿住貴之 創森社,2007
・『森の力』 育む、癒す、地域をつくる 浜田久美子 岩波新書,2008
・『みどりの市民参加』森と社会の未来をひらく 木平勇吉編著 
 日本林業調査会,2010
・『トトロの森をつくる』トトロのふるさと基金のあゆみ30年 
 トトロのふるさと基金編著 合同出版,2020
・『山からのたより』養沢で林業とともに 池谷キワ子 清水工房,2020

・月刊「山林」19952月号5月号、19966月号7月号11月号、19978月号、199911月号、200011月号、20014月号5月号、20043月号、20063月号/大日本山林会
・月刊「現代林業」19951月号、19977月号8月号10月号、199910月号12月号/全国林業改良普及協会
・月刊「林業新知識」19974月号、19985月号/全国林業改良普及協会
・月刊「林業技術」19981月号/日本森林技術協会
・「林業経済」2019Vol.65/林業経済研究所
・「環境社会学研究」13.2007年 23.2017年/環境社会学会
・『がんばれ水と緑 活動の手引・事例集』
 日本列島ユースアクション中央推進協議会,1986年
・「森を育む」中沢和彦 月刊「晨」19971月号~12月号/ぎょうせい
・「山村林業者たちの新たな試み」中沢和彦 月刊「望星」19974月号/東海教育研究所
・「森づくりを楽しむ人々 市民参加型林業のいま」中沢和彦 月刊「世界」199711月号/岩波書店
・「森林づくりと市民参加」中沢和彦 地域づくり交流171997年/全国地域づくり推進協議会
・森づくりフォーラム広報誌 1995年~2023年/森づくりフォーラム

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