『山里への私の憧憬』

『山里への私の憧憬』
私が生まれ育った東京の世田谷区は、かつては都内でももっとも多くの給与生活者、いわば都市のサラリーマンたちの住む町であった。そのことに嫌悪するようになったのは、小学校の高学年の頃だった。大企業、中小企業・部長、課長といった親たちの世界の序列が子供の世界のなかにまで入ってきて、サラリーマンの住む町の不気味さが学校にまで浸透してきていたのである。
中学に入った頃、だから私は将来会社に勤めることにほとんど興味がわかず、物理学の研究にすすむか農学部に行って牧場主になりたいと思うようになっていた。ところがそんな話をすると、まわりの人々は私の子供っぽい希望を笑った。問題は牧場主の方にあるのである。第一次産業に憧れることと農山村に暮らすことは別の問題だと多くの人々は教えてくれたのである。
都市という「文化的な街」で育った人間が、「何もない」農山村で暮らすのは不可能だと。農山村とは封建的な因習が残るところであり、貧しさと停滞が支配するところだと。都市こそ、科学、進歩、文化といった言葉を体現しているとでもいうように。そしてそんな忠告を受けるたびに、私は大地の上で暮らす夢をみつづけた。
その後幾つかの偶然が重なり、私は哲学の研究の方に向かってしまうのだけれど、そのかわり一九七〇年代に入った、二十歳になった頃からは、釣り竿をもってはしばしば山里を歩くようになっていった。そして村人たちの智恵の豊かさに驚かされ、自然と結ばれながら人間たちが交流していく村の暮らしのなかに、都市にはないふくよかさのあることに気付いていった。山村への憧憬は私のなかで新しく再生されてきていた。
しかしその私の思いは決して多くの人々の支持を得ることはできなかったのである。そんな私を友人たちは東京生まれの人間の山里に対する勝手な思い入れだと笑い、山里の自然を好む人たちでさえ、そこで暮らすことは無理だと話してくれる。そういうとき、私は自分が中学生の頃の人々の農山村に対するイメージがいまも少しも変わっていないことを寂しく思った。
ところがこの私の思いは、当の山里で暮らす人々からさえ不評だったのである。都市のコセコセした暮らしがいかに非文化的であるかを話しても、山里がいかに貧しく、いかに不便で、いかに非文化的であるかを語ってくれる村人はいくらでもいた。
そんなとき私は、かつての「進歩的」日本人たちのヨーロッパへの憧れを思い出した。パリに滞在していたある日、私は日本人の画家のアトリエを訪れた日があった。彼は戦後初のパリ留学組の一人である。
確か昭和二十八年、海外留学が解禁されたとき、ヨーロッパに憧れていた青年たちが必死の思いでフランスへと向かう船に乗った。その船上で彼は、いまでは高名な評論家になっているA氏と一緒になった。そのとき、まだ若きA青年は、彼に会うたびに、いかに日本には文化がなく、パリは文化に満ちているかを語りつづけていた。
いまでこそ私たちは日本には日本の文化があり、フランスにはフランスの文化があるという当たり前のことを認めるようになったけれど、最近までの日本の「進歩的」な人々の意識は、そんなことを許しはしなかったのである。
文化、芸術、科学、思想…、あらゆるものの先進地はヨーロッパであり、日本は低い文化と封建的因習の残る後進地だと彼らは思いつづけてきたのである。私の専攻する哲学の世界でもそのことはいささかも変わらなかった。
自分の住んでいるところは後進地だ、かつては「進歩的」日本人たちがそう思ってヨーロッパに憧れたように、いまでも山村と都市の間で同じような現象がおきている。本来なら日本がヨーロッパになる必要がないように、山村が都市と同じになる必要はないのである。それなのに都市との違いがすべて遅れとみなされる信仰にも似た意識が、いつの間にか日本の地につくられてしまった。
その結果、山里には山里の暮らし方と文化があり、都市には都市の暮らし方と文化があるのだということを、誰も認めようとしなくなってしまったのである。私は都市より山村の方が文化的だと言っているのではない。都市はサラリーマンたちの町であり、それに見合った文化があるのと同じように、山村には山村の暮らしに対応した文化があり、そのどちらを好むかは選択の問題だと言っているのである。
それなのに、それだけのことを認めることのできない日本という先進国とは一体何なのだろうかと思うのである。そしてその日本の社会の余裕のなさが、本質的なところで日本の山村を破壊し、衰退させつづけているように私は思うのである。だから私の山里への憧憬は、日本の文化の水準に対する反発と重なりつづけていくことになる。
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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
「山里紀行」より第5回『山里への私の憧憬』より引用しています。
(1987年5月発行号掲載)
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