内山 節 ライブラリ

『変わらないものの価値』

『変わらないものの価値』

私が上野村で、年末、年始をはじめて迎えたのはいまから50年ほど前のことだった。その頃の上野村は今日よりずっと寒く、雪で凍結した白い道が村の集落をつないでいた。現在では雪道をみること自体が珍しくなっている。川面のほとんどは厚い氷で覆われ、川はどこでも歩いて渡れるという感じだった。

はじめて正月を上野村で過ごしたとき、村の有線放送から村長の年頭の辞が流れてきたことを覚えている。当時の日本は高度成長の最盛期で、他方で山村の疲弊がすすんでいた。この頃の上野村は群馬のチベットと言われていた。後にこの表現を使わなくなったのは、この言い方はチベットの人々に対して失礼だということに気づいたからである。

年頭の辞で村長は、「焦るな」と村民に呼びかけていた。「高度成長の波に乗ろうとしたら村は崩壊する」「そうではなく、この自然を守っていこう。村らしさを守っていこう。そうすればいつか必ず上野村は日本のトップランナーだと言われるときがくる」そんな内容だった。

それから50年ほどがたち、上野村はいまでもこのときの村長の路線を継承している。この間に、人口は残念ながら半減した。しかし、自然も村らしさも守られ、そのことが都市の人々を惹きつけるようになった。年間20万人ほどの観光客が訪れ、それ以上に村の人口の二割を超える移住者たちがいる。

村にはさまざまな働く場所があって、夜間人口より昼間の人口の方が多いのがいまの上野村である。村人が昼間に村外に働きに行くのではなく、村外から村に働きにくる人がいる。森林の多目的利用や地域エネルギーの生産でも、村は独自の展開をとげている。

とともに、世間の人々の田舎をみる目が変ってきたのも、この半世紀の変化だった。経済力がない、不便、人間関係が面倒といった評価が半世紀前のものだとするなら、今日では経済よりも地域の循環的営みに関心をもち、自然とともに暮らすがゆえに手にできる便利さや、共同体的な支え合う社会の在り方に価値をみいだす人々がふえてきた。田舎は後進地ではなく、都市にはない豊かさが展開している里だと感じる人たちが、いまでは全国各地に生まれている。このような変化をみていくなら、日本の社会はずいぶん変わった。

そんなことを感じながら、私は今年の年末、年始も上野村で過ごす。12月26日には、私と村が共催するかたちで餅つきがおこなわれる。この日は参加者を公募する方法を採っていて、毎年、二升餅を三十臼くらいついている。そして、29日は我が家の餅つき。各地から人々が集まってきて、毎年八十臼程度をついている。それが終わると、我が家は正月の準備に入る。

村の家々の正月の準備は、昔と比べればずいぶん簡素化されるようになった。以前なら二日くらいをかけて神様を迎える準備をしたものだが、現在ではかなり簡略化されている。それでも年末を迎え、正月を過ごす村の様子は、基本的に変わることはない。

村らしさを守るとは、変わらない営みを大事にするということだ。わずかな畑を耕し、森とともに生きる。村らしい暮らし方や地域の文化を大事にし、共同体とともに生きる。そういう変わらない世界を受け継いでこそ、村らしさも守られていく。そしてこのことと対立しないかたちで、経済のあり方や新しい交流のかたちも創造していく。そんな村の方向性を再確認しながら、私の年末、年始も展開していく。そしてその様子を、村の自然がみている。

考えてみれば村の自然は、毎年同じ営みをくり返しているのである。落葉広葉樹の多い上野村では、冬になると山は針金でできた森のような姿に変わる。風が吹くと山から落ち葉が舞い降りてくる。その森が赤みを帯びてくると、私たちは春が近いことを知る。冬芽が春を迎える準備をしているのである。

その森のなかでは、さまざまな動物や鳥たちが暮らしている。木々の葉が落ちると、それらを目にすることが多くなってくる。といっても動物や鳥たちもまた、葉が落ちた森のなかから人間たちの様子をみているのだろう。

我が家の餅つきは庭に簡易竃を並べて薪で米を蒸しておこなわれる。そんなことをしていると庭には落ちた米がいくらか発生する。餅つきが終わり人がいなくなると、庭には鳥たちがやって来て、落ちた米を食べている。正月に庭に祀られている神様にお供えをすると、たちまちそれは消え失せる。何かがもっていくのだろう。

自然は人間の様子を観察しながら、変わらない営みをつづけている。そうやって自然は、私たちが村を守るのと同じように、自然の世界を守っている。 

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写真:中沢 和彦
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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第378回『変わらないものの価値』より引用しています。
(2022年1月発行号掲載)
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