内山 節 ライブラリ

森とともに暮らす社会の意味 -2022年の年頭に当たって-(内山 節)

NPO法人森づくりフォーラム

森とともに暮らす社会の意味
-2022年の年頭にあたって-

昨年もコロナが背後から追いかけてくるような一年だった。
といっても、コロナウイルスが追いかけてきたのか、
それともコロナによって発生した社会が私たちを追い詰めていたのか。
そんなことを考えながら暮らすしかない年だった。

ところが私の村の家がある上野村にいると、異なった感覚が芽生えてくる。
コロナウイルスによって大騒ぎになっているのは人間だけで、
村を支配しているといってもよい自然は、コロナの影響を受けることもなく平穏である。

日本の伝統的な考え方では、社会とは自然と人間によってつくられているものだった。
より正確に述べれば、自然と生者と死者によってつくられているのが社会だった。
自然との関係がこの社会をつくり、生者どおしの関係や生者と死者(この社会の基盤をつくっていった人たち)との関係が社会をつくる。
コロナで騒いでいるのは生者だけで、自然も死者も変わることなく存在しつづけている。

もしも人間が完全に自然的な生き物であったなら、
コロナに怯えることもなかったことだろう。
なぜなら、ときにある種のウイルスが広がるのも自然な出来事だし、
その結果死者がでるのも自然の成り行きだからである。
自然はどのような現実とも共存しながら生存しつづける。
たとえ個別の生命が失われても、類としての生命は生きつづける。

人間がコロナに怯えるのは、自然的な生き物であることを捨てたからであり、
類的生命であることを捨てたから、生命を個人のなかに閉じ込めたからだろう。

もちろん感染症が拡がれば、その拡大を停めようとするのは当然のことだ。
だが、それへの警戒だけがすべてになれば、社会は壊れていく。
警戒しつつも、なぜ人間だけが怯えつづけるのか、なぜ人間はこの社会を壊しても個人の生命だけに執着するのか。そんなことを考えながら警戒するのでなければ、人間には自然と生者と死者の社会の一員である資格はないのかもしれない。

森づくりフォーラムは、森とともに暮らす社会をつくろうとして
これまでさまざまな活動を展開してきた。
森とともに暮らす社会づくりとは、この社会が自然と人間の社会であることを実態化する試みでもある。
自然から離れた人間が、自然と人間の関係を取り戻す。
そうして、自然が支配する社会の一員であることに豊かさが感じられる社会をつくる。
それができたら、ありがたくない自然であるコロナウイルスとも、
ともに暮らす社会の道筋がみえてくるのかもしれない。

森との関わりをとおして、この世界のすべてをつかみなおす。
私たちの活動は、そんな性格をつねにもちつづけていたいと思っている。

==============================================
日本の森を守り、活かし続けるため、森づくりフォーラムへのご支援を
よろしくお願いいたします。
https://www.moridukuri.jp/member/donation.html
==============================================


NPO法人森づくりフォーラム